Google的ニュータイプの発現
梅田氏の『Web進化論』に続いて、佐々木氏の『Google』を読み終えました。
非常に刺激される面白い本でした。
おりしも研究会でやっているNetwork Centric Strategyや、
複雑ネットワーク理論なども現在、人々の生活の裏側で起こりつつある、
そしてますます加速しつつある社会の質的な変革、あるいは進化の
現象にゆるやかに結びついて、だんだんとその姿が見えてきたような気がします。
こうやって散逸的に読み漁っている本やWebの情報がつながってくるってのは
なんだかわくわくします。でも実際のところ本を選んだり、膨大なblogの記事の
中から特定の記事をクリックするという時点で、すでに無意識のうちに選択が
行われているのでしょう。それは分からないことを分かろうとする心の本能的な
行為なのかもしれません。自分では気が付かないうちに、うまくはまるパズルの
ピースを何とか見つけて、全体を完成させようとしている。
前置きが長くなりましたが、Web進化論のメッセージで、一番ぴんと来たのは
(ネットの)「向こう側」と「こちら側」というきり分けです。持田氏は物理学で有名な
ファインマン教授の言葉を借りて、「向こう側の価値観はこちら側のいかなる
アナロジーも利用できない」といったことを述べています。
人間というのは新しい事象を理解し、そのロジックを取り込むに当たって過去に
経験した何かの仕組みで似たものを探してきて(アナロジー)、それに例えて
理解を始めようとします。
現実世界でわれわれが毎日をうまく立ち振る舞って生きていけるのは、こうした
アナロジーからアナロジーへの連鎖を通じ、それを経験として記憶していけるからです。
ところが「向こう側」の世界では、これまで「こちら側」で経験し学んできたどれにも
当てはまらない価値観、ルールが社会を形成し、価値を生み出している。例えて
言うなら1+1がゼロにも無限大にもなる世界。「こちら側」の世界では少なくとも2に
しかなりません。
こうした感覚は「こちら側」で長年育ってきた人間には、
「は? なんのことやら」
という感じですが、「向こう側」の世界では当たり前なのです。Googleが検索エンジン
という表向きの顔の裏で社会的なインフラになりつつあるのはそういった「向こう側」の
アナロジーによるものです。「こちら側」と「向こう側」の世界の接点がなければ、何の
問題もありません。
しかしそもそも「向こう側」の世界は「こちら側」の世界の道具立てによって生み出され、
やがて「こちら側」よりも巨大になりつつあります。それは、ビジネスの世界を見てみると
顕著です。権威に依存した従来型のビジネスモデルならば、1ヶ月に1つも売れない
製品を扱っても商売にならない。しかし向こう側ではむしろそういった製品のほうが莫大な
利益を上げている。これはまさしくロングテール現象という言葉で代表される「向こう側」の
世界の価値観なのです。
「こちら側」と「向こう側」という切り分け方は、ある意味「こちら側」の世界のアナロジーに
浸りきった旧人類と、向こう側の新たなアナロジーに支配される新人類という社会構造の
変革も意味しています。
例えば子供に携帯をせがまれる親と子の関係がこれを如実に物語っていると感じます。
「ねぇ、友達もみんな持ってるし、携帯買ってよ」
「そんな高いもの、まだ早い。」
昔ならば「携帯」が「自転車」だったのかもしれません。しかしその背景は携帯と自転車では
まったく異質なものです。これが理解できるかどうかが、果たして「こちら側」に住む人間なのか、
「向こう側」に住む人間なのかの分かれ目だと言えるでしょう。
子供たちは別に向こう側とこちら側、といった認識をしているわけでもその仕組みを理解して
いるわけでもありません。ただ単に周りの生活環境に溶け込むための本能的な反応として
「携帯がほしい」という意識の発動になるのだと思います。もちろん要因は一つだけでは
ありませんが、腹が減れば食べ物を手に入れ、寒ければ体を温める何らかの方法を模索し、
そうやって日々を生き抜いてきた人類ですが、同じような本能的な欲求により、コミュニティへ
帰属し続けるための術として、携帯を要求するのでしょう。極端に言えば、携帯がない、
ということは彼らのコミュニティに存在していない、ということにすらなり、それは事実上
コミュニティにおける死を意味します。
まぁ極端な例ではありますが、携帯の向こうにあるコミュニティを見ている世代と、携帯を
一時的なコミュニケーションの道具としてみている世代の感覚的な、本能的な違いがここに
あります。
これをNetwork Centricの言葉で言えば、
「こちら側」の価値観=Platform Centric
「向こう側」の価値観=Network Centric
ということになります。
誤解を恐れず、単純に言えば、Platform Centricとは、手で触れて目に見えて、重さを
量れる「もの」を基準として、価値観、行動規範を構築すること。Network Centricは
情報の価値に基準を置いて、それが及ぼす効果を最大限にする(Effect-based)ように
手段の組み合わせを、変わり続ける状況に対して俊敏に(agile)対応することを意味します。
つまり行動のよりどころとなる基盤を「こちら側」におく「向こう側」に置くか、という大きな
違いがあります。
戦後の高度経済成長期を生きてきた人たちにとっては、様々な価値を生み出す「もの」こそが
確かに自分たちの生活基盤を築いてきたという意識(確かにその通りですし)が根付いており、
目に見えて、手で触れる「もの」の価値判断には間違いの無いところでしょう。ところが
「向こう側」の世界になると、頭にまったくイメージすらできない「情報の力」がよりどころとなる
なんてまったくその感覚が分からない、というのが実際のところです。この状況は日本の
国力を支えてきた産業界に如実に現れてきており、グローバル市場の中で日本の製造業が
這い上がれない本質的な要因となっています。
それは、台湾エイサー社の創業者スタン・シー会長が示したことで有名になった
「スマイル・カーブ」
からも読み取れます。
スマイル・カーブとは、特に情報機器の製品バリューチェーンの中で、下流の素材の部分から
上流側のパッケージング、さらにはそれを利用した情報製品、情報サービスにいたるスペクトラム
の中で、それぞれがどれだけの価値を生み出すかをグラフにしたものです。
結果として、ビジネスになりうる価値を生み出しているのは
素材に近い下流か、あるいはかなり上流側であるということが分かりました。
つまり、例えばPCといった箱物を事業としている企業は非常に苦しいということが言えます。
例えば日本の高性能なスチール、AppleのiPodなどは下流側、上流側でうまくビジネスを
成立させている代表的な例ですし、IBMが利益率の低いハードディスクやPC部門を売却
したもの、スマイルカーブの底辺から右へと以降していくための変革の動きだったわけです。
スマイルカーブの右側は、まさに情報が価値を生む世界であり、「もの」は情報によって
最大限に効果を挙げるための一つのパラメータにしか過ぎないわけです。それは「もの」の
大きさや重量、形などとはまったく関係が無く、単にどれだけの効果を生むのか、ということ
だけで計られます。
「もの」をベースに生きてきた世代にとっては、これを直感的に判断ができず、その他多くの
形の無い情報と比較することなどまったく頭にイメージができない世界です。
一方で、生まれてこの方「向こう側」の世界とのかかわりで大きくなってきた世代にとって見れば、
至極当たり前で頭の中に非常にリアルにイメージができる世界です。あたかも優れた
数学者が多次元方程式のグラフを頭にイメージすることができるのと同じように。
Googleを当たり前のように使いこなし、ブラウザの向こうからやってくる波が見えている世代、
片足を半分旧世代に突っ込んでいる僕にしてみると彼らは、高速で移動する敵の予測軌跡
が見えたり、ララァと意識の世界で会話はできませんが、ニュータイプという言葉がしっくり
くるような気がします。
いや、「ニュータイプ」って言葉を使うこと自体、
僕が旧タイプの証拠ですかそうですか (汗)
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