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	<title>Spikyブログ</title>
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	<description>ガジェットとスケートとセーリングと</description>
	<language>ja</language>
	<copyright>Copyright 2008</copyright>
	<pubDate>Thu, 01 Jan 1970 00:00:00 +0000</pubDate>
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		<title>iPhone用通話録音アプリを見つけた！</title>
		<link>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/26/209/</link>
		<comments>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/26/209/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 26 Dec 2008 12:29:33 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>ディジタルの水平線</category>
	<category>iPhone</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/26/209/</guid>
		<description>	ついにみつけました！
&amp;nbsp;
しかし意外に「灯台下暗し」だったという感じです。
iPhone用にずーっと探してたんですが、「通話中の会話を録音してくれるアプリケーション」がなかったんですよ。 普通の、（通話とは関係の無い）ボイスメモアプリは山のようにあるんですが。。。
&amp;nbsp;
で、そのアプリは
&amp;nbsp;
　Ultimate Voice Recorder for iPhone
&amp;nbsp;
です。
&amp;nbsp;
App Store純正のアプリで、App Storeから&quot;Ultimate Voice Recorder&quot;で検索すると出てきます。実のところ、iPhoneの前に使っていたNokiaのN73（OSはSymbian OS S60v3.0）で重宝していた優れものアプリのiPhone版で、いろいろとGoogleを検索せずとも、最初からUltimate Voice RecorderのiPhone版を探せばよかった（汗）
&amp;nbsp;
ほかにも、脱獄版iPhone向けにCydiaからインストールできる&quot;SpoofAPP&quot;というのも見つけました。こちらは通話録音以外にも、相手の電話に通知する自分の電話番号(Caller ID）を変更したり、自分の声を変えたりとなかなか遊び心あふれる（でも使い勝手ありそうな）機能がついており魅力でしたが、Ultimate Voice Recordrの方はすでにN73でその使い勝手を体感済みだったので、まよわずこちらをダウンロードしました。値段も高くないですよ！６００円なり。
&amp;nbsp;
iPhone版のすぐれた点として、通話を録音したファイルを、あらかじめ指定したftpサーバに、3GネットワークやWiFi経由で自動的にアップロードしてくれるという機能があります。これはすっごい便利です。何もしなくても自動的にバックアップされているわけなので、iPhoneの容量を食わないし、必要なときにはいつでも会話内容を確認できます。
&amp;nbsp;
その他にも様々な機能強化が行われているようですが、まずは使ってみて、またレポートします。
&amp;nbsp;
ちなみに、会話録音できるアプリは全く国内のサイトでの紹介を見つけることが出来ませんでした。とっても便利なアプリなんですが、これができる携帯はあまり見たことが無いし、使い慣れてないからそういうことも出来るのだということもあまり話題に上らないからでしょうか。。。通話中の会話を録音することを、英語では&quot;call recording&quot;といいます。これで海外サイトを検索したら、まだあるかもしれません。
&amp;nbsp;
iPhone使っておられる人は、是非一度試してみることを薦めます。
&amp;nbsp;
&amp;nbsp;
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 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<P>ついにみつけました！</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>しかし意外に「灯台下暗し」だったという感じです。</P>
	<P>iPhone用にずーっと探してたんですが、「通話中の会話を録音してくれるアプリケーション」がなかったんですよ。 普通の、（通話とは関係の無い）ボイスメモアプリは山のようにあるんですが。。。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>で、そのアプリは</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>　<A href="http://clickapps.com/moreinfo.htm?pid=19096&amp;section=IPHONE&amp;cur=THB" target=_blank>Ultimate Voice Recorder for iPhone</A></P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>です。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>App Store純正のアプリで、App Storeから"Ultimate Voice Recorder"で検索すると出てきます。実のところ、iPhoneの前に使っていたNokiaのN73（OSはSymbian OS S60v3.0）で重宝していた優れものアプリのiPhone版で、いろいろとGoogleを検索せずとも、最初からUltimate Voice RecorderのiPhone版を探せばよかった（汗）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ほかにも、脱獄版iPhone向けにCydiaからインストールできる&#8221;<A href="http://www.appleiphoneschool.com/category/spoofapp/" target=_blank>SpoofAPP</A>&#8220;というのも見つけました。こちらは通話録音以外にも、相手の電話に通知する自分の電話番号(Caller ID）を変更したり、自分の声を変えたりとなかなか遊び心あふれる（でも使い勝手ありそうな）機能がついており魅力でしたが、Ultimate Voice Recordrの方はすでにN73でその使い勝手を体感済みだったので、まよわずこちらをダウンロードしました。値段も高くないですよ！<STRONG>６００円なり</STRONG>。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhone版のすぐれた点として、通話を録音したファイルを、あらかじめ指定したftpサーバに、3GネットワークやWiFi経由で自動的にアップロードしてくれるという機能があります。これはすっごい便利です。何もしなくても自動的にバックアップされているわけなので、iPhoneの容量を食わないし、必要なときにはいつでも会話内容を確認できます。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>その他にも様々な機能強化が行われているようですが、まずは使ってみて、またレポートします。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ちなみに、会話録音できるアプリは全く国内のサイトでの紹介を見つけることが出来ませんでした。とっても便利なアプリなんですが、これができる携帯はあまり見たことが無いし、使い慣れてないからそういうことも出来るのだということもあまり話題に上らないからでしょうか。。。通話中の会話を録音することを、英語では"call recording"といいます。これで海外サイトを検索したら、まだあるかもしれません。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhone使っておられる人は、是非一度試してみることを薦めます。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>&nbsp;</P>
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        	</item>
		<item>
		<title>iPhoneかAndroidか。。。</title>
		<link>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/15/208/</link>
		<comments>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/15/208/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 15 Dec 2008 12:33:46 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>ディジタルの水平線</category>
	<category>iPhone</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/15/208/</guid>
		<description>	&amp;nbsp;
&amp;#8220;To be, or not to be&amp;#8230;&amp;#8221;
&amp;nbsp;
にも似た命題ですが、僕としては「現時点では」圧倒的にiPhone。
&amp;nbsp;
cnetが
&amp;nbsp;
「iPhoneとAndroid端末、魅力的なのはどっち？ 」
&amp;nbsp;
というアンケートを実施してます。いまのところAndroidも出たばっかりで、また最初のAndroid端末についていえば、そもそもデザインからしてダサいので、僕的には到底受け付けないのですが、しかし将来にわたってそうかというと、そのへんは未知数です。
&amp;nbsp;
iPhoneもAndroidも、いずれも（程度の差はあるとはいえ）手に覚えがあるパワーユーザならばSDK使って自分でアプリを作ることも可能で、そのおかげでiPhoneの方はといえば、7/11のApp Store（アプリケーションを配布したり販売したりできるオンラインストア）に登録されているアプリケーションがついに１万を超えたとか。。。友人でも自分で辞書アプリ作って自分のにいれて使ってる人もいます。
&amp;nbsp;
一方、AndroidもSDKが配布されており、また「開発用に」ということで、年間少々の参加費用を払って開発プログラムに参加したユーザは、開発アプリを実機で動作させるための、なんと「SIMロックフリーの」端末を$399で買うことができます。これはとっても魅力かも。。。
&amp;nbsp;
実機がすでにあり、またコンテンツやこれを支えるプラットフォームの点でも、すでに確固たる市場を築いているiPhoneにいまのところは軍配があがるかという感じです。しかしこれは将来的に逆転する可能性もある。
&amp;nbsp;
開発言語がiPhoneはObjective-C, AndroidはJavaとか？またAppleのApp Storeに対して、Android Marketもオープンしており、端末、開発言語、プラットフォームという大きな要素で比べたときに、程度の差こそあれ、将来的にはけっこういい感じで拮抗しそうな予感がする。
&amp;nbsp;
ただ、アンケートを見ていると、殆どの人が、「端末としてどうなのか？」という目でしか見ていない。まぁ一般ユーザからすれば、ごく当たり前の視点だとは思う。しかし実際に使い始めると、端末（ハードの性能やOS,アプリの性能、そしてUIの使い勝手まで含めて）のみの問題ではない、ということにすぐに気が付く。これは開発に携わる人というよりも、ごく一般のユーザが最初に直面する部分なので、そこもあわせてきちんと評価することが大事だと思う。
&amp;nbsp;
iPhoneにしろ、Androidにしろ、世間的にはスマートフォンという類の「携帯機能付き高機能情報端末」である。もちろんこれを電話を主として使う人もいるだろうが、多かれ少なかれ、電話帳から始まってWebサイトのURLの整理や、カメラ機能など、いまの携帯ではありふれた機能のみを使うにしても、ただちにPC側の支援機能にお世話になることになる。
&amp;nbsp;
iPhoneでは、PC(MacもWindowsも)用にiTunesという非常にすぐれた支援ソフトがある。また更に言えば、iTunesは、電話ならばAddress、メールならばMail、WebならばSafari、写真ならばiPhotoというそれぞれがまた非常によくできたバンドルソフトとの橋渡しをするに過ぎず、iTunesそのものが担当する部分といえば、そもそものiTunesの機能であった、楽曲・動画の整理や購入の部分と、最近ではiPhone用のアプリケーションの管理だけだ。
&amp;nbsp;
これだけ高機能なiPhoneなので、このようなPC側の支援ソフトウェア、そしてさらにはその背景にあるサービスの存在抜きには語れない。Androidもしかり。AndroidはGoogleの各種サービスを最大限に使えるよう工夫されているので、iPhoneとiTunesとの関係のようにUSBケーブルでつなぐかわりに、ネットワーク経由でメールやカレンダー、マップなどのデータのやりとり（というか同じものを見ているわけだが）をする点で、連携の仕方が違うが、しかしAndroid外に支援のための仕組みを必要とするという面では同じである。
&amp;nbsp;
すなわち、iPhoneもAndroidも、それ単体でも優れているが、そんなにたくさん機能はいらないという人でさえ、iTunesやGoogleスイートのお世話にならずには使えない。従ってこれらの機能や、いかに簡単に連携できるのか？（というか連携という動作さえユーザから隠蔽していまうべき）という点もあわせて評価する必要がある。
&amp;nbsp;
その点で、iPhoneとそれをとりまく連携支援アプリケーションの環境、iPhoneを含めてプラットフォームと呼んでもよいような、そういった種々の機能の完成度や出来は、いまのところ圧倒的にiPhoneに軍配が上がる。iPhoneにはマルチタッチの非常に爽快な操作感や「いかに捨てるか」ということをよく考えたデザイン・インタフェースがあって、その点でも秀逸だと思うが、むしろプラットフォームという面で考えたときには、そのような要素は全体の利用しやすさを決める要素のごく一部でしかないと考えている。
&amp;nbsp;
しかしながらAndroidはAppleよりはるかにオープンで、すでにオープンソースコミュニティの心をつかみかけている。インターネットの時代において、web民主主義の力は圧倒的で、かつ速い。またそれをささえるオープンソースコミュニティの力は強大である。一部のカリスマではなく、コミュニティにいかに訴求するかが、ある意味今後のAndroidの行く末を左右するだろう。
&amp;nbsp;
プラットフォームを限定せず、OSのみを共通化するやりかたは、MicrosoftのWindowsのやり方にも似ているが、しかし全てがオープンである点は非常に大きく違う。Microsoftは基本的にソースを公開せず、それによって市場を意のままにコントロールしようとした。しかしこれはすでに工業化時代のやりかただ。情報を独占することが価値を生み、存在意義を生み出す世界はもう終わった。そういった面で、Androidの創造しようとしている世界はMSのものとは全く違う。
&amp;nbsp;
しかし、だ。
&amp;nbsp;
Androidという名前に隠れて見にくくなっているが、その背景に入るのはGoogleである。それだけで逆に非常に危うさを感じる。Googleが生まれた当初、すでに検索機能を持つポータルで各社がユーザ獲得にやっきになっているところにきて、そのポータルというにはあまりにシンプルで機能本位、そして実際他社の検索機能に比べ非常に速くて高性能なベンチャー（弱小）の提供するサービスを応援してきた。いまやGoogleは自らがすでに帝国の仲間入りをしている。先に述べたように、「情報を独占する時代はおわった」。しかし検索最大手となり、猫も杓子もGoogleという世界は、結局のところ独占されてしまっているわけだ。まるでオーウェルの1984のように。
&amp;nbsp;
一時期、「Google八分」という言葉が広まった。「悪徳マニアックサイト」がきちんとした説明もなくGoogleの検索結果から削除されてしまったという事件だ。Googleが強大になることの危険性を如実に物語る象徴的事件であった。しかし実はGoogleが絡む問題はこれで終わったわけではない。日常化してしまったが故皆が気が付かなくなっているだけだ。実のところ、こういった例が非常に多いし、僕自身も経験した。
&amp;nbsp;
つまるところ、Googleの独善性が明らかになりつつある。
&amp;nbsp;
Googleとしては、人間の意志を極力排除するためにあらゆる処理をプログラムのアルゴリズムに実装し、たとえば利用者が意図せぬ情報が検索結果として現れ、あるいはキャッシュとしていつまでも残って「しまう」その理由として、「プログラムがやってるから僕たちの責任ではないんですぅ。」ということを言う。たしかに検索結果を選んだり、順番付けをするのは人間が直接やっているわけではない。が、そもそもアルゴリズムは、あるいはプログラムは、そう動くように人間が意図して設計したものである。そしてその実装としてのプログラムも、人間が作らねば、いつのまにか庭に生えてた、なんてことにはならない。従ってGoogleが生み出した結果というものは、100%人為的なものだ。
&amp;nbsp;
最近だとGoogle Street Viewに関するプライバシー問題への、なんとも能天気な姿勢が問題となりつつあるのはよく知られている。僕の目には「やってしまって、問題が起こったら対処すればよい」という安易な姿勢が見え見えでちょっと気持ち悪さを感じる。たしかにすごく便利だ。が、便利ならば全て許されるのか？といえばそうでもない。情報を利用して便利さを享受する側と、情報を収集される側と常に両方の立場がある。便利さとプライバシーの線引きがどこでなされるかは、全世界一様ではなく、たとえば文化や国によって非常に異なる。その辺をまずはサービスイン前に検討すべきなのだが、「便利だからいいでしょ」といわんばかりだ。
&amp;nbsp;
自分が被害者になることを考えると、むしろそういった便利さは制限されても致し方なしと考えるし、むしろ制限されるべきだと考える。この世の中、人は一人で生きていけない。相互に依存して生きているわけだから、ひょっとして不便でもプライバシーを守りたいという人が多数派・少数派であるにかかわらず、「便利さ」のみを優先してはいけない。そういったあちこちにGoogleの独善的な姿勢が見え隠れする。
&amp;nbsp;
なんとなく、いまだ世間知らずの学生が暴走している、という感が否めない。
&amp;nbsp;
話がかなりそれたが、将来的にAndroidがプラットフォームを含めて素晴らしいものになったとしても、やはりその他の勢力と拮抗し、バランスすることが健全な市場の成長に必要だと感じる。なので、Androidにも伸びてもらいたいが、第３の勢力がでてくるのも歓迎だ。世の中、常に多様性を維持しつつ、バランスしている状況が健全であると考える。
&amp;nbsp;
なお、Nokiaも個人的にはすきだが、利用環境をふくめたプラットフォームまで考えると、ちょっと今のところ競争勢力になるとは思えない。iPhoneにくらべてNokiaの牙城はいまだ強大であるが、しかし極端にプラットフォームセントリックな戦略に偏っていると感じる。端的な例で言えば、PC用の支援ソフト、Nokia PC suiteはあまりにごみなソフトである。iTunesの比較にならない。スマートフォンというものは、本来高機能であるが、しかしそれは一部のギークしか使いこなせないような、呪文の必要な端末だったりしてはいけない。むしろスマートフォンの自由さこそ、ギークではなく、これまでキャリアのこれまた独善的なデザインの端末をおしつけられてきた一般ユーザのためのものであると考えている。従って、支援環境も、PCのことをあまり知らない人でも「簡単に」使える必要がある。しかしNokia PC suiteは、いまだユーザインタフェースがこなれておらず、動作も不安定。機能も不十分。そういった意味で、今のままの戦略をとるならば、早晩シェアは逆転する可能性があると感じる。
&amp;nbsp;
世界におけるNokiaの総出荷台数は膨大であり、出荷後わずか３ヶ月で６００万台ちょっとを売ったiPhoneといえども、その億単位の数の前には塵に等しい程度のシェアしかない。が、先にも述べたように、情報化時代のweb民主主義に生きる人々の世界は強大だ。また動きも速い。ワシントンミューチュアルがあっという間につぶれ、ビッグ３が風前の灯であるように、これだけ大きなシェアの差があったとしても、将来にわたって安泰であることの保証にはなんらならない。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<P>&nbsp;</P>
	<P>&#8220;To be, or not to be&#8230;&#8221;</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>にも似た命題ですが、僕としては「現時点では」圧倒的にiPhone。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>cnetが</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>「<A href="http://japan.cnet.com/docchi/story/0,3800091137,20385202,00.htm" target=_blank>iPhoneとAndroid端末、魅力的なのはどっち？</A> 」</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>というアンケートを実施してます。いまのところAndroidも出たばっかりで、また最初のAndroid端末についていえば、そもそもデザインからしてダサいので、僕的には到底受け付けないのですが、しかし将来にわたってそうかというと、そのへんは未知数です。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhoneもAndroidも、いずれも（程度の差はあるとはいえ）手に覚えがあるパワーユーザならばSDK使って自分でアプリを作ることも可能で、そのおかげでiPhoneの方はといえば、7/11のApp Store（アプリケーションを配布したり販売したりできるオンラインストア）に登録されているアプリケーションがついに１万を超えたとか。。。友人でも自分で辞書アプリ作って自分のにいれて使ってる人もいます。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>一方、AndroidもSDKが配布されており、また「開発用に」ということで、年間少々の参加費用を払って開発プログラムに参加したユーザは、開発アプリを実機で動作させるための、なんと「SIMロックフリーの」端末を$399で買うことができます。これはとっても魅力かも。。。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>実機がすでにあり、またコンテンツやこれを支えるプラットフォームの点でも、すでに確固たる市場を築いているiPhoneにいまのところは軍配があがるかという感じです。しかしこれは将来的に逆転する可能性もある。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>開発言語がiPhoneはObjective-C, AndroidはJavaとか？またAppleのApp Storeに対して、Android Marketもオープンしており、端末、開発言語、プラットフォームという大きな要素で比べたときに、程度の差こそあれ、将来的にはけっこういい感じで拮抗しそうな予感がする。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ただ、アンケートを見ていると、殆どの人が、「端末としてどうなのか？」という目でしか見ていない。まぁ一般ユーザからすれば、ごく当たり前の視点だとは思う。しかし実際に使い始めると、端末（ハードの性能やOS,アプリの性能、そしてUIの使い勝手まで含めて）のみの問題ではない、ということにすぐに気が付く。これは開発に携わる人というよりも、ごく一般のユーザが最初に直面する部分なので、そこもあわせてきちんと評価することが大事だと思う。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhoneにしろ、Androidにしろ、世間的にはスマートフォンという類の「携帯機能付き高機能情報端末」である。もちろんこれを電話を主として使う人もいるだろうが、多かれ少なかれ、電話帳から始まってWebサイトのURLの整理や、カメラ機能など、いまの携帯ではありふれた機能のみを使うにしても、ただちにPC側の支援機能にお世話になることになる。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhoneでは、PC(MacもWindowsも)用にiTunesという非常にすぐれた支援ソフトがある。また更に言えば、iTunesは、電話ならばAddress、メールならばMail、WebならばSafari、写真ならばiPhotoというそれぞれがまた非常によくできたバンドルソフトとの橋渡しをするに過ぎず、iTunesそのものが担当する部分といえば、そもそものiTunesの機能であった、楽曲・動画の整理や購入の部分と、最近ではiPhone用のアプリケーションの管理だけだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>これだけ高機能なiPhoneなので、このようなPC側の支援ソフトウェア、そしてさらにはその背景にあるサービスの存在抜きには語れない。Androidもしかり。AndroidはGoogleの各種サービスを最大限に使えるよう工夫されているので、iPhoneとiTunesとの関係のようにUSBケーブルでつなぐかわりに、ネットワーク経由でメールやカレンダー、マップなどのデータのやりとり（というか同じものを見ているわけだが）をする点で、連携の仕方が違うが、しかしAndroid外に支援のための仕組みを必要とするという面では同じである。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>すなわち、iPhoneもAndroidも、それ単体でも優れているが、そんなにたくさん機能はいらないという人でさえ、iTunesやGoogleスイートのお世話にならずには使えない。従ってこれらの機能や、いかに簡単に連携できるのか？（というか連携という動作さえユーザから隠蔽していまうべき）という点もあわせて評価する必要がある。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>その点で、iPhoneとそれをとりまく連携支援アプリケーションの環境、iPhoneを含めてプラットフォームと呼んでもよいような、そういった種々の機能の完成度や出来は、いまのところ圧倒的にiPhoneに軍配が上がる。iPhoneにはマルチタッチの非常に爽快な操作感や「いかに捨てるか」ということをよく考えたデザイン・インタフェースがあって、その点でも秀逸だと思うが、むしろプラットフォームという面で考えたときには、そのような要素は全体の利用しやすさを決める要素のごく一部でしかないと考えている。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>しかしながらAndroidはAppleよりはるかにオープンで、すでにオープンソースコミュニティの心をつかみかけている。インターネットの時代において、web民主主義の力は圧倒的で、かつ速い。またそれをささえるオープンソースコミュニティの力は強大である。一部のカリスマではなく、コミュニティにいかに訴求するかが、ある意味今後のAndroidの行く末を左右するだろう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>プラットフォームを限定せず、OSのみを共通化するやりかたは、MicrosoftのWindowsのやり方にも似ているが、しかし全てがオープンである点は非常に大きく違う。Microsoftは基本的にソースを公開せず、それによって市場を意のままにコントロールしようとした。しかしこれはすでに工業化時代のやりかただ。情報を独占することが価値を生み、存在意義を生み出す世界はもう終わった。そういった面で、Androidの創造しようとしている世界はMSのものとは全く違う。</P>
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	<P>しかし、だ。</P>
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	<P>Androidという名前に隠れて見にくくなっているが、その背景に入るのはGoogleである。それだけで逆に非常に危うさを感じる。Googleが生まれた当初、すでに検索機能を持つポータルで各社がユーザ獲得にやっきになっているところにきて、そのポータルというにはあまりにシンプルで機能本位、そして実際他社の検索機能に比べ非常に速くて高性能なベンチャー（弱小）の提供するサービスを応援してきた。いまやGoogleは自らがすでに帝国の仲間入りをしている。先に述べたように、「情報を独占する時代はおわった」。しかし検索最大手となり、猫も杓子もGoogleという世界は、結局のところ独占されてしまっているわけだ。まるでオーウェルの1984のように。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>一時期、「Google八分」という言葉が広まった。「悪徳マニアックサイト」がきちんとした説明もなくGoogleの検索結果から削除されてしまったという事件だ。Googleが強大になることの危険性を如実に物語る象徴的事件であった。しかし実はGoogleが絡む問題はこれで終わったわけではない。日常化してしまったが故皆が気が付かなくなっているだけだ。実のところ、こういった例が非常に多いし、僕自身も経験した。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>つまるところ、Googleの独善性が明らかになりつつある。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>Googleとしては、人間の意志を極力排除するためにあらゆる処理をプログラムのアルゴリズムに実装し、たとえば利用者が意図せぬ情報が検索結果として現れ、あるいはキャッシュとしていつまでも残って「しまう」その理由として、「プログラムがやってるから僕たちの責任ではないんですぅ。」ということを言う。たしかに検索結果を選んだり、順番付けをするのは人間が直接やっているわけではない。が、そもそもアルゴリズムは、あるいはプログラムは、そう動くように人間が意図して設計したものである。そしてその実装としてのプログラムも、人間が作らねば、いつのまにか庭に生えてた、なんてことにはならない。従ってGoogleが生み出した結果というものは、100%人為的なものだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>最近だとGoogle Street Viewに関するプライバシー問題への、なんとも能天気な姿勢が問題となりつつあるのはよく知られている。僕の目には「やってしまって、問題が起こったら対処すればよい」という安易な姿勢が見え見えでちょっと気持ち悪さを感じる。たしかにすごく便利だ。が、便利ならば全て許されるのか？といえばそうでもない。情報を利用して便利さを享受する側と、情報を収集される側と常に両方の立場がある。便利さとプライバシーの線引きがどこでなされるかは、全世界一様ではなく、たとえば文化や国によって非常に異なる。その辺をまずはサービスイン前に検討すべきなのだが、「便利だからいいでしょ」といわんばかりだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>自分が被害者になることを考えると、むしろそういった便利さは制限されても致し方なしと考えるし、むしろ制限されるべきだと考える。この世の中、人は一人で生きていけない。相互に依存して生きているわけだから、ひょっとして不便でもプライバシーを守りたいという人が多数派・少数派であるにかかわらず、「便利さ」のみを優先してはいけない。そういったあちこちにGoogleの独善的な姿勢が見え隠れする。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>なんとなく、いまだ世間知らずの学生が暴走している、という感が否めない。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>話がかなりそれたが、将来的にAndroidがプラットフォームを含めて素晴らしいものになったとしても、やはりその他の勢力と拮抗し、バランスすることが健全な市場の成長に必要だと感じる。なので、Androidにも伸びてもらいたいが、第３の勢力がでてくるのも歓迎だ。世の中、常に多様性を維持しつつ、バランスしている状況が健全であると考える。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>なお、Nokiaも個人的にはすきだが、利用環境をふくめたプラットフォームまで考えると、ちょっと今のところ競争勢力になるとは思えない。iPhoneにくらべてNokiaの牙城はいまだ強大であるが、しかし極端にプラットフォームセントリックな戦略に偏っていると感じる。端的な例で言えば、PC用の支援ソフト、Nokia PC suiteはあまりにごみなソフトである。iTunesの比較にならない。スマートフォンというものは、本来高機能であるが、しかしそれは一部のギークしか使いこなせないような、呪文の必要な端末だったりしてはいけない。むしろスマートフォンの自由さこそ、ギークではなく、これまでキャリアのこれまた独善的なデザインの端末をおしつけられてきた一般ユーザのためのものであると考えている。従って、支援環境も、PCのことをあまり知らない人でも「簡単に」使える必要がある。しかしNokia PC suiteは、いまだユーザインタフェースがこなれておらず、動作も不安定。機能も不十分。そういった意味で、今のままの戦略をとるならば、早晩シェアは逆転する可能性があると感じる。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>世界におけるNokiaの総出荷台数は膨大であり、出荷後わずか３ヶ月で６００万台ちょっとを売ったiPhoneといえども、その億単位の数の前には塵に等しい程度のシェアしかない。が、先にも述べたように、情報化時代のweb民主主義に生きる人々の世界は強大だ。また動きも速い。ワシントンミューチュアルがあっという間につぶれ、ビッグ３が風前の灯であるように、これだけ大きなシェアの差があったとしても、将来にわたって安泰であることの保証にはなんらならない。</P>
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        	</item>
		<item>
		<title>iPhoneでメールを自動振り分けする</title>
		<link>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/12/207/</link>
		<comments>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/12/207/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 12:35:17 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>ディジタルの水平線</category>
	<category>iPhone</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/12/207/</guid>
		<description>	ひさびさのiPhoneねたです。
&amp;nbsp;
以前NokiaのN73(SoftbankではN73)を使っていたのですが、これはこれで非常に多機能で、もう普通の携帯には戻れない！という感じでした。しかしことメールなどの国内ケータイの機能を比べると、
&amp;nbsp;
　　「あれ？これってふつーできるよね？」
&amp;nbsp;
という機能があたりまえのようになかったりします（笑）。
&amp;nbsp;
で、N73のメール機能で、最後まで「あぁ、あったらなぁ」と思っていたのが、メールのフィルタリング機能。
&amp;nbsp;
メルマガやメーリングリストなどは、メールが着信した時点で自動的に「メルマガ」フォルダに分類してほしいし、すぐに読みたいメールはとりあえず受信フォルダにそのまま着信しておいて、読んだ後に手動でフォルダに移動したい。これができないのです。
&amp;nbsp;
実はiPhone 3Gにも、そんな便利な機能がなかったりします。（絵文字にも対応してくれたんだから、将来的には対応するのかな？？？）
&amp;nbsp;
が、がっかりするには及びません。方法はあります。そこがiPhoneの素晴らしいところです。（かな？）
&amp;nbsp;
iPhoneを買うと、&quot;*@i.softbank.jp&quot;というメールアドレスが自動的に割り振られますが、このメールは実はiPhoneからだけでなく、PCからも読み書きできるのです。これは国内のケータイにはできない芸当ですねぇ。
&amp;nbsp;
PCでiPhoneの&quot;なんとか@i.softbank.jp&quot;アカウントを読み書きできるメリットというのは、なかなか使ってみないとわからないかもしれませんが、たとえば長文のメルマガをじっくり読んだりするのはPCの方が読みやすいですね。またよく考えてちょっと長めのメールを書いたりするときも、フルキーボードが使えるPCの方が便利です。当然のことながらメールの分類状況をざっと見やすいのもPCです。Office系やでかい写真でもPCなら問題なく開けるし、自分の文書フォルダに普通に格納しておけるし。引用したりするのも便利かもしれません。
&amp;nbsp;
一方、外に外出中はPCが使えないけれども、iPhoneでも全く同じメールを見たり書いたり、はたまたPCで送ったメールもiPhoneからも見ることができる。
&amp;nbsp;
それもこれも、iPhoneのメールアカウントがIMAP4というプロトコル（というか仕組みというか）で運用されているからです。メールやフォルダの実態は、実はiPhoneの中にはありません。全てSoftbankのサーバ上にあります。iPhoneもPCも同じSoftbankのフォルダを見に行く仕組みになっているので、PCからだろうがiPhoneからだろうが常に同じものが見れるという寸法です。またSoftbankのメールサーバの方のメールは、500MBだったか、超えたら古いやつから勝手に削除されますよね。
&amp;nbsp;
少々前置きが長くなりましたが、ここまでの説明で、「あ、もうわかった。」という人もいるでしょう。
&amp;nbsp;
要するに、PCのメールソフトに、iPhone用のメールのアカウントを追加してやればよいだけです。
&amp;nbsp;
僕の場合は、Mozila Thunderbirdを使ってます。無料だし、わりと更新もまめだし、結構歴史も長く安定しているしね。別にThunderbirdでなくても、市販のメールソフトでもその他の無料メールソフトでも、要するにIMAP4が扱えるメールソフトならなんでもかまいません。PC買ったときについてくるメールソフト、MacならMailでもできるし、Windowsでもできるでしょう。できなければThunderbirdとか使っちゃいましょう。
&amp;nbsp;
設定は下記のとおり。
&amp;nbsp;
	受信サーバ：　imap.softbank.jp&amp;nbsp; （プロトコルはIMAP4を選択）
送信サーバ：　smtp.softbank.jp&amp;nbsp; (ただしポートを587, SSLなしで設定）
&amp;nbsp;
さて、肝心の自動振り分けですが、要するにThunderbirdのメールフィルタ機能を使うわけです。iPhoneのメールも普通のメールと同じなので、Thunderbirdで、送信元アドレスや、メールの題名、あるいは内容に特定キーワードを含む、などで好きにフィルタを設定すればおっけー。
&amp;nbsp;
で、これらのフィルタはThunderbirdでは、基本的に（どうも）メールが着信すると自動的に実行されるらしい。ということで、家のPCをたちあげっぱなしにし、（これは場合によっては環境にやさしくない）、そのPCでThunderbirdを動かしっぱなしにしておきます。そしてメールの受信チェックも一定時間おきにするように設定すること。（１０分おきとか）
&amp;nbsp;
そうすると、iPhoneにメールが届くと（すなわちSoftbankのサーバにメールが届くと）、PC側のThunderbirdもそれを認識します。そして自動的にフィルタが働いてあとは自分で作ったフォルダに自動的に振り分けられる仕組み。ただし実際には、PC側のThunderbirdは「リアルタイムで」受信しているわけではない（上記では１０分おきにチェックとしている）ので、このチェックの間隔が長いと、まずiPhoneに着信し（これはリアルタイム）、しばらくのちにPCのThunderbirdがメールをチェックしに行くことになります。その間に受信フォルダを開いてしまうと、まだフィルタリングされてないメールが見えたりするわけですが。
&amp;nbsp;
が、まぁそれはほっておけばよいでしょう。最長でも１０分後にはPC側が勝手に整理してくれるわけですし。
&amp;nbsp;
なので、へんなことが起きることもあります。つまり、iPhoneで受信ボックスを見ていたら、あるとき急にメールがなくなることがあります。これはそのタイミングでPCのメールソフトが届いたメールを他のフォルダに分類（移動）したからです。落ち着いて、iPhoneからそのフォルダを開いてみましょう。ちゃんと入っているはずです。
&amp;nbsp;
ということで、iPhoneにはメールのフィルタリング機能は無いが、よくできた秘書が家のPCからちゃんと監視していて、いずれはちゃんと整理してくれるという仕組みをりようすることができるってわけです。
&amp;nbsp;
そして、この方法にはもうひとつ、うれしいおまけが付いてきます。
&amp;nbsp;
Thunderbirdは、ネットの向こう側にあるSoftbankのメールサーバ上の自分のメールを整理してくれるだけでなく、PCの中のハードディスクに持ってくることもできます。Softbank上のサーバと同じフォルダ構成（たとえば、家族、友人、メルマガ、メーリングリスト、会社とか）をPCのローカル上にも作っておき、そこに移動するフィルタも一緒に作っておきます。そうすると、Softbank上のメールを自分のPCにバックアップしておくことができます。
&amp;nbsp;
普通ケータイのメールはバックアップといっても、なかなかややこしい。しかしiPhoneのメールは、他のPCのメールと同じように自分のHDにフィルタで移動できるので、誰に頼まなくてもフィルタが勝手に全てのメールをバックアップしてくれるんですよ。なんとも素晴らしい！
&amp;nbsp;
12/16からはアップルストアでもiPhoneが購入できるようになるので、もうみんなiPhoneにしちゃえば？ってことで（笑）

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<P>ひさびさのiPhoneねたです。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>以前NokiaのN73(SoftbankではN73)を使っていたのですが、これはこれで非常に多機能で、もう普通の携帯には戻れない！という感じでした。しかしことメールなどの国内ケータイの機能を比べると、</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>　　「あれ？これってふつーできるよね？」</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>という機能があたりまえのようになかったりします（笑）。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>で、N73のメール機能で、最後まで「あぁ、あったらなぁ」と思っていたのが、メールのフィルタリング機能。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>メルマガやメーリングリストなどは、メールが着信した時点で自動的に「メルマガ」フォルダに分類してほしいし、すぐに読みたいメールはとりあえず受信フォルダにそのまま着信しておいて、読んだ後に手動でフォルダに移動したい。これができないのです。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>実はiPhone 3Gにも、そんな便利な機能がなかったりします。（絵文字にも対応してくれたんだから、将来的には対応するのかな？？？）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>が、がっかりするには及びません。方法はあります。そこがiPhoneの素晴らしいところです。（かな？）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>iPhoneを買うと、"*@i.softbank.jp"というメールアドレスが自動的に割り振られますが、このメールは実はiPhoneからだけでなく、PCからも読み書きできるのです。これは国内のケータイにはできない芸当ですねぇ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>PCでiPhoneの"なんとか@i.softbank.jp"アカウントを読み書きできるメリットというのは、なかなか使ってみないとわからないかもしれませんが、たとえば長文のメルマガをじっくり読んだりするのはPCの方が読みやすいですね。またよく考えてちょっと長めのメールを書いたりするときも、フルキーボードが使えるPCの方が便利です。当然のことながらメールの分類状況をざっと見やすいのもPCです。Office系やでかい写真でもPCなら問題なく開けるし、自分の文書フォルダに普通に格納しておけるし。引用したりするのも便利かもしれません。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>一方、外に外出中はPCが使えないけれども、iPhoneでも全く同じメールを見たり書いたり、はたまたPCで送ったメールもiPhoneからも見ることができる。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>それもこれも、iPhoneのメールアカウントがIMAP4というプロトコル（というか仕組みというか）で運用されているからです。メールやフォルダの実態は、実はiPhoneの中にはありません。全てSoftbankのサーバ上にあります。iPhoneもPCも同じSoftbankのフォルダを見に行く仕組みになっているので、PCからだろうがiPhoneからだろうが常に同じものが見れるという寸法です。またSoftbankのメールサーバの方のメールは、500MBだったか、超えたら古いやつから勝手に削除されますよね。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>少々前置きが長くなりましたが、ここまでの説明で、「あ、もうわかった。」という人もいるでしょう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>要するに、PCのメールソフトに、iPhone用のメールのアカウントを追加してやればよいだけです。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>僕の場合は、<STRONG><A href="http://mozilla.jp/thunderbird/" target=_blank><STRONG>Mozila Thunderbird</STRONG></A></STRONG>を使ってます。無料だし、わりと更新もまめだし、結構歴史も長く安定しているしね。別にThunderbirdでなくても、市販のメールソフトでもその他の無料メールソフトでも、要するにIMAP4が扱えるメールソフトならなんでもかまいません。PC買ったときについてくるメールソフト、MacならMailでもできるし、Windowsでもできるでしょう。できなければThunderbirdとか使っちゃいましょう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>設定は下記のとおり。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<UL>
	<LI>受信サーバ：　<STRONG>imap.softbank.jp</STRONG>&nbsp; （プロトコルはIMAP4を選択）</LI>
	<LI>送信サーバ：　<STRONG>smtp.softbank.jp</STRONG>&nbsp; (<FONT color=#ff0000>ただしポートを587</FONT>, SSLなしで設定）</LI>
</UL>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>さて、肝心の自動振り分けですが、要するにThunderbirdのメールフィルタ機能を使うわけです。iPhoneのメールも普通のメールと同じなので、Thunderbirdで、送信元アドレスや、メールの題名、あるいは内容に特定キーワードを含む、などで好きにフィルタを設定すればおっけー。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>で、これらのフィルタはThunderbirdでは、基本的に（どうも）メールが着信すると自動的に実行されるらしい。ということで、家のPCをたちあげっぱなしにし、（これは場合によっては環境にやさしくない）、そのPCでThunderbirdを動かしっぱなしにしておきます。そしてメールの受信チェックも一定時間おきにするように設定すること。（１０分おきとか）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>そうすると、iPhoneにメールが届くと（すなわちSoftbankのサーバにメールが届くと）、PC側のThunderbirdもそれを認識します。そして自動的にフィルタが働いてあとは自分で作ったフォルダに自動的に振り分けられる仕組み。ただし実際には、PC側のThunderbirdは「リアルタイムで」受信しているわけではない（上記では１０分おきにチェックとしている）ので、このチェックの間隔が長いと、まずiPhoneに着信し（これはリアルタイム）、しばらくのちにPCのThunderbirdがメールをチェックしに行くことになります。その間に受信フォルダを開いてしまうと、まだフィルタリングされてないメールが見えたりするわけですが。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>が、まぁそれはほっておけばよいでしょう。最長でも１０分後にはPC側が勝手に整理してくれるわけですし。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>なので、へんなことが起きることもあります。つまり、iPhoneで受信ボックスを見ていたら、あるとき急にメールがなくなることがあります。これはそのタイミングでPCのメールソフトが届いたメールを他のフォルダに分類（移動）したからです。落ち着いて、iPhoneからそのフォルダを開いてみましょう。ちゃんと入っているはずです。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ということで、iPhoneにはメールのフィルタリング機能は無いが、よくできた秘書が家のPCからちゃんと監視していて、いずれはちゃんと整理してくれるという仕組みをりようすることができるってわけです。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>そして、この方法にはもうひとつ、うれしいおまけが付いてきます。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>Thunderbirdは、ネットの向こう側にあるSoftbankのメールサーバ上の自分のメールを整理してくれるだけでなく、PCの中のハードディスクに持ってくることもできます。Softbank上のサーバと同じフォルダ構成（たとえば、家族、友人、メルマガ、メーリングリスト、会社とか）をPCのローカル上にも作っておき、そこに移動するフィルタも一緒に作っておきます。そうすると、Softbank上のメールを<STRONG>自分のPCにバックアップしておくことができます</STRONG>。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>普通ケータイのメールはバックアップといっても、なかなかややこしい。しかしiPhoneのメールは、他のPCのメールと同じように自分のHDにフィルタで移動できるので、誰に頼まなくてもフィルタが勝手に全てのメールをバックアップしてくれるんですよ。なんとも素晴らしい！</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P><A href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/12/news088.html" target=_blank>12/16からはアップルストアでもiPhoneが購入できるようになるので</A>、もうみんなiPhoneにしちゃえば？ってことで（笑）</P>
]]></content:encoded>
		<wfw:commentRSS>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/12/207/feed/</wfw:commentRSS>
        	</item>
		<item>
		<title>企業ブログが信じられないわけ</title>
		<link>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/11/206/</link>
		<comments>http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/11/206/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 11 Dec 2008 12:40:39 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>悲喜交々（ひきこもごも）</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/11/206/</guid>
		<description>	日本では企業がブログを使って広報をする、という取組みはあまり普及していないが、海外では結構盛んに取り組まれているようだ。
&amp;nbsp;
「企業ブログ」とも呼べる類のもののようであるが、これについて「消費者は（企業）ブログを殆ど信用していない」という調査結果が出ているようである。
&amp;nbsp;
　　社員ブログを信じる？　まさか！
&amp;nbsp;
そんなもの、火を見るより明らかだと思うが、Forester Researchという会社はそれをきちんと調査して、結果的にはやはり、ということであったというニュースだ。
&amp;nbsp;
企業が自ら乗り出してブログを推進したところで、はなっからうまくいかない。特にそれを自社の広報的な活動の延長線上に考えているときには特にそうだ。そもそもブログという文化はインターネットが、初期の権威によるWeb作成の時代から、参加する誰もが自由に発言でき、自己表現できる社会へとパラダイムシフトする中で生まれてきた文化だ。結果的に非常に読者を集める多くのブログサイトがでてきた背景には、一つにはそれらのブログが特定の権威によらない、完全に読者と同じサイドで中立な立場から書かれたものだろうということを信ずる人が多いからだろう。
&amp;nbsp;
たとえば販売において、「口コミ」というのは最も人々が信頼し頼りにする情報源でもある。最も強力なPR手段だと言われることもある。たしかに自分が何かの購入に迷っているときに、TVコマーシャル、雑誌のインプレッション、メーカの広告、そしてまさにその製品を使っている、あるいは知っている近しい友人のコメントのいずれをまず参考にするかといわれれば、間違いなくその友人の言葉に耳を傾けるだろう。そして最も斜に構えて裏があるなとおもうのがメーカの広告である。
&amp;nbsp;
メーカによるブログというのは、このメーカによる広告となんら代わりが無い。
&amp;nbsp;
つまり、メーカの権威の囲みの中で社員が「書かされている」としか思えないのだ。（たとえそうでなくても）
&amp;nbsp;
しかし一方で、内部者であるがゆえに、ユーザよりもモノを良く知っている、一般ユーザが知らない情報を知っているかもしれないという期待があるのも確かだ。しかしそのような情報がメーカの企業ブログに登場する限り、はなはだ怪しい情報としかユーザの目には映らない。
&amp;nbsp;
ところが、このような情報が、たとえば国内ならば２ちゃんねる等に流れていたらどうだろう？その信憑性はともかく、非常に気になる情報の一つとなるだろう。
&amp;nbsp;
同じ社員が同じ事を書いたとしても、企業ブログなのか２ちゃんねるなのかによって利用者の関心と信頼は大きく違ってくる。それも企業が主催するものでなく、むしろノイズの多い２ちゃんねるの情報を信じたがる傾向にある。なぜか。結局のところ、企業ブログというのは、そもそものはじまりから自己矛盾をはらんでいるからだ。
&amp;nbsp;
ブログが普及し、人気ブログサイトのインプレッションがユーザの購入動機に大きな影響力を持つのは、それがメーカの権威によらない、自由意志によって書かれている、ということが確かだと信ずるからだ。もちろん、ひょっとすると裏ではメーカの意思が働いているかもしれないが、それは時間というフィルタ、そして読者というフィルタによって正確に濾されてしまう。一時期「これはいいよ！」という記事を書いたとしても、実際にそうでなければ、そのブログには多くの批判的コメントが付くだろう。またそういったことが長い期間にわたって繰り返されれば、やがてそのブログサイトは見向きもされなくなる。（そして実際、そうなるまでの時間は長くない）
&amp;nbsp;
つまり、メーカという「権威」の意向から完全にときはなたれた「自由意志」による表現である、と信じられることが信頼され、参考にされるブログサイトの最重要条件である。
&amp;nbsp;
なのに、である。企業おすみつきでブログをはじめる、ということは、最初の最初からそれを否定していることになる。企業の枠組みの中ではじめたことで、すでに何が書かれようがそのブログサイトは「信頼できない」サイト入りをすることになる。インターネットのブログ文化がもたらした「総表現社会」「Web民主主義」というものはそういうものだ。なにがしかの権威のにおいがついた時点で、そのブログは見向きもされなくなる。
&amp;nbsp;
従って、「マイクロソフトがはじめた」という枕詞が付くようなブログサイトは誰も信用しない。そもそもユーザに入り口にすら立ってもらえないのだ。そういった意味で、企業ブログというのは自己矛盾を含んでおり、企業が自社のPRに使おう、世に広く良いイメージを認知したい、とはじめた時点ですでに破綻している。
&amp;nbsp;
結局今回のForester Researchは、それが客観的数字によって再度確認された、というレベルのもので、「やっぱりね」程度以上のものはそこにない。
&amp;nbsp;
米国に比べ、日本企業が国内でそれをあまりやっていないのは、企業がよくわかっているからだろうか。。。
&amp;nbsp;
&amp;nbsp;
実は僕はそうではないと考えている。
&amp;nbsp;
日本の企業が、企業ブログを利用した広報活動をしないのは、ただ単に経営者がその可能性すら理解できず、従ってそれをやってみようという意識にすら到達していないだけの話である。しかし、社内でブログを利用しようという試みは増えてきているようだ。昨今のICT系ニュースサイトでも、企業の実施例が紹介され、それを支援するための製品やサービスもちらほら立ち上がりつつある。
&amp;nbsp;
が、これもおなじ自己矛盾を含んでいる。企業側が企業内ブログに何を求めるかであるが、相当にまじめに、本腰を入れて取り組まない限り
&amp;nbsp;
　　絶対にうまくいかない。
&amp;nbsp;
例えば企業内ブログに期待されるのは、知の集積、それも「成功しました」という情報よりも、むしろ失敗事例だったりする。実のところ、そのような失敗事例は自社の製品やサービスを改善、向上させていく上で最も貴重な情報であるにもかかわらず、なかなかきちんと報告され、集積され、そして共有されない。そこはむしろ日本企業のほうがシビアであるかもしれない。「失敗を許さない文化」が企業の中にも脈々とながれているからだ。
&amp;nbsp;
従って、失敗を報告すれば、それはとりもなおさず失敗を報告したことを評価されるのではなく、失敗したことをマイナス評価されるにすぎず、なんら自身がそういった貴重な情報を提供することへのプラスのインセンティブが存在しないわけだから、だれもあえて自身の失敗談をブログなどで共有したいとは思わないだろう。企業内ブログが期待するのは、そういったネガティブ情報であるにもかかわらず、それを評価しない組織が率先しているのだからうまくいくわけが無い。
&amp;nbsp;
ブログがうまくいくのは、何者にもしばられない自由意志が保証されている場合のみである。「自由意志」という点が非常に重要だ。従って上記のようにネガティブな情報でないにしても、「業務で」「これこれの情報に関し」「まとめること」といった上からの指示に基づく限り、ポジティブな情報すらあがってこない。
&amp;nbsp;
さらに問題なのは、企業という、労働に対し対価が与えられることが従業員の労働に対する正当なインセンティブであるところに、隙間時間や定時後などを利用し、自己の自由意志による取組みを、なかば「強制」している点である。端的な例をあげれば、例の「カイゼン」活動が良い例である。
&amp;nbsp;
基本、カイゼン活動は、自発的・能動的・プロアクティブな社員の問題意識を期待するところが大きい。子供の学習が最も効果あるのは、子供自らが「楽しい！」と思って取り組んでいるときだ。カイゼンにおいても、当事者がそれを真に自分の問題としてとらえなければ、日本人の得意とする創意工夫はそこからは生まれてこない。せいぜい、創意工夫の形をした、抜け殻だけが強制されて件数を増やしていく。
&amp;nbsp;
従って、企業内部ログでは、ポジティブな情報といえども、現行の階層組織、そしてそこでのデファクトなワークプロセスのままでは全く機能しない。ICTの仕組みだけではだめなのである。情報化時代の現代の代表的な知の集積の仕組みともいえるブログを、そもそもが権威主導でやろうとするならば、相当な経営サイドの理解と努力が必要だ。
&amp;nbsp;
まずはブログというものの本質を理解した上で、そもそものスタート地点がおもいっきりマイナス側にふれているわけであるから、なんとかしてそれを使わせたい社員の意識をスタート地点であるゼロまで持ってこないといけない。すなわちインセンティブである。社外のブログは自由意志によって花開く。自由意志は自由である。いつ書くか、何を書くか、そしてそもそもそれを書いたところで対価を得られる保証すらないのにあえて自らの時間を費やし書こうと思うものについてのみ書く。だから情報としての価値があるものが多い。
&amp;nbsp;
一方企業内ブログは、その開始の合図は「業務命令」でしかありえない。はなから自由意志が否定されている。であるから、それをなんとかスタート地点に持ってくる相当な努力が必要だ。なのでことさら社員のインセンティブを考慮する必要がある。それらのインセンティブとは少なくとも以下のようなものだろう。
&amp;nbsp;
	情報提供に対する正当な対価を与えることの明言
ネガティブ情報提供に対する上記対価に加え、マイナス評価を絶対にしないことの保証
ブログ作成の労力は業務の一部として認めること。権限の委譲。
そして権威からの保護（職制ライン、あるいはより上の職位のものがいかなる報復措置もしないこと）
&amp;nbsp;
しかし多くの管理者、経営者はそもそもブログの本質を全く理解していないから、とりあえず道具立てさえ（つまりブログサーバをたてさえ）すれば、運用が始まると能天気に考えている。いや、彼らはそれがいかに能天気なことであるかすら認識していない。ICTによる道具立てを準備することに加え、それと平行して組織の形態、ワークプロセスも変更せねばならない。すくなくとも階層型組織、そしてそこでデファクトなワークプロセスの中では間違ってもうまくいかない。
&amp;nbsp;
ブログサーバなどICTの話は「情報領域」の話である。一方で組織の構造やワークプロセスは「社会領域」。そしてこれらにはさまれた「認知領域」。これらの間で相互に滞りなく情報が流れるよう密な連携が必要なのである。これを「相互運用性」と呼ぶ。工業化時代に生きてきて、情報化時代を理解していない現在の管理者層や経営者層は、この相互運用性の重要性を全く理解していない。道具立てをそろえるとともに、組織も変えねばならない。自身の頭もかえねばならないのである。
&amp;nbsp;
マイクロソフトの企業ブログの例は、いかにICTで先端を行っている会社であろうと、情報化時代のパラダイムシフトにまったくもって追いついていない典型的な例だといえるだろう。ICTの道具立てをそろえるのは、そんなに大変な話ではない。むしろ大変なのは、組織のエッジにいない人間が自らその構造をぶち壊し、新しい情報化時代の価値観を学ぶ意識を持てるかどうかにかかっている。

 </description>
		<content:encoded><![CDATA[	<P>日本では企業がブログを使って広報をする、という取組みはあまり普及していないが、海外では結構盛んに取り組まれているようだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>「企業ブログ」とも呼べる類のもののようであるが、これについて「消費者は（企業）ブログを殆ど信用していない」という調査結果が出ているようである。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>　　<A href="http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0812/11/news071.html" target=_blank>社員ブログを信じる？　まさか！</A></P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>そんなもの、火を見るより明らかだと思うが、Forester Researchという会社はそれをきちんと調査して、結果的にはやはり、ということであったというニュースだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>企業が自ら乗り出してブログを推進したところで、はなっからうまくいかない。特にそれを自社の広報的な活動の延長線上に考えているときには特にそうだ。そもそもブログという文化はインターネットが、初期の権威によるWeb作成の時代から、参加する誰もが自由に発言でき、自己表現できる社会へとパラダイムシフトする中で生まれてきた文化だ。結果的に非常に読者を集める多くのブログサイトがでてきた背景には、一つにはそれらのブログが特定の権威によらない、完全に読者と同じサイドで中立な立場から書かれたものだろうということを信ずる人が多いからだろう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>たとえば販売において、「口コミ」というのは最も人々が信頼し頼りにする情報源でもある。最も強力なPR手段だと言われることもある。たしかに自分が何かの購入に迷っているときに、TVコマーシャル、雑誌のインプレッション、メーカの広告、そしてまさにその製品を使っている、あるいは知っている近しい友人のコメントのいずれをまず参考にするかといわれれば、間違いなくその友人の言葉に耳を傾けるだろう。そして最も斜に構えて裏があるなとおもうのがメーカの広告である。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>メーカによるブログというのは、このメーカによる広告となんら代わりが無い。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>つまり、メーカの権威の囲みの中で社員が「書かされている」としか思えないのだ。（たとえそうでなくても）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>しかし一方で、内部者であるがゆえに、ユーザよりもモノを良く知っている、一般ユーザが知らない情報を知っているかもしれないという期待があるのも確かだ。しかしそのような情報がメーカの企業ブログに登場する限り、はなはだ怪しい情報としかユーザの目には映らない。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ところが、このような情報が、たとえば国内ならば２ちゃんねる等に流れていたらどうだろう？その信憑性はともかく、非常に気になる情報の一つとなるだろう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>同じ社員が同じ事を書いたとしても、企業ブログなのか２ちゃんねるなのかによって利用者の関心と信頼は大きく違ってくる。それも企業が主催するものでなく、むしろノイズの多い２ちゃんねるの情報を信じたがる傾向にある。なぜか。結局のところ、企業ブログというのは、そもそものはじまりから自己矛盾をはらんでいるからだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ブログが普及し、人気ブログサイトのインプレッションがユーザの購入動機に大きな影響力を持つのは、それがメーカの権威によらない、自由意志によって書かれている、ということが確かだと信ずるからだ。もちろん、ひょっとすると裏ではメーカの意思が働いているかもしれないが、それは時間というフィルタ、そして読者というフィルタによって正確に濾されてしまう。一時期「これはいいよ！」という記事を書いたとしても、実際にそうでなければ、そのブログには多くの批判的コメントが付くだろう。またそういったことが長い期間にわたって繰り返されれば、やがてそのブログサイトは見向きもされなくなる。（そして実際、そうなるまでの時間は長くない）</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>つまり、メーカという「権威」の意向から完全にときはなたれた「自由意志」による表現である、と信じられることが信頼され、参考にされるブログサイトの最重要条件である。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>なのに、である。企業おすみつきでブログをはじめる、ということは、最初の最初からそれを否定していることになる。企業の枠組みの中ではじめたことで、すでに何が書かれようがそのブログサイトは「信頼できない」サイト入りをすることになる。インターネットのブログ文化がもたらした「総表現社会」「Web民主主義」というものはそういうものだ。なにがしかの権威のにおいがついた時点で、そのブログは見向きもされなくなる。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>従って、「マイクロソフトがはじめた」という枕詞が付くようなブログサイトは誰も信用しない。そもそもユーザに入り口にすら立ってもらえないのだ。そういった意味で、企業ブログというのは自己矛盾を含んでおり、企業が自社のPRに使おう、世に広く良いイメージを認知したい、とはじめた時点ですでに破綻している。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>結局今回のForester Researchは、それが客観的数字によって再度確認された、というレベルのもので、「やっぱりね」程度以上のものはそこにない。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>米国に比べ、日本企業が国内でそれをあまりやっていないのは、企業がよくわかっているからだろうか。。。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>実は僕はそうではないと考えている。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>日本の企業が、企業ブログを利用した広報活動をしないのは、ただ単に経営者がその可能性すら理解できず、従ってそれをやってみようという意識にすら到達していないだけの話である。しかし、社内でブログを利用しようという試みは増えてきているようだ。昨今のICT系ニュースサイトでも、企業の実施例が紹介され、それを支援するための製品やサービスもちらほら立ち上がりつつある。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>が、これもおなじ自己矛盾を含んでいる。企業側が企業内ブログに何を求めるかであるが、相当にまじめに、本腰を入れて取り組まない限り</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>　　<STRONG>絶対にうまくいかない。</STRONG></P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>例えば企業内ブログに期待されるのは、知の集積、それも「成功しました」という情報よりも、むしろ失敗事例だったりする。実のところ、そのような失敗事例は自社の製品やサービスを改善、向上させていく上で最も貴重な情報であるにもかかわらず、なかなかきちんと報告され、集積され、そして共有されない。そこはむしろ日本企業のほうがシビアであるかもしれない。「失敗を許さない文化」が企業の中にも脈々とながれているからだ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>従って、失敗を報告すれば、それはとりもなおさず失敗を報告したことを評価されるのではなく、失敗したことをマイナス評価されるにすぎず、なんら自身がそういった貴重な情報を提供することへのプラスのインセンティブが存在しないわけだから、だれもあえて自身の失敗談をブログなどで共有したいとは思わないだろう。企業内ブログが期待するのは、そういったネガティブ情報であるにもかかわらず、それを評価しない組織が率先しているのだからうまくいくわけが無い。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ブログがうまくいくのは、何者にもしばられない自由意志が保証されている場合のみである。「自由意志」という点が非常に重要だ。従って上記のようにネガティブな情報でないにしても、「業務で」「これこれの情報に関し」「まとめること」といった上からの指示に基づく限り、ポジティブな情報すらあがってこない。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>さらに問題なのは、企業という、労働に対し対価が与えられることが従業員の労働に対する正当なインセンティブであるところに、隙間時間や定時後などを利用し、自己の自由意志による取組みを、なかば「強制」している点である。端的な例をあげれば、例の「カイゼン」活動が良い例である。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>基本、カイゼン活動は、自発的・能動的・プロアクティブな社員の問題意識を期待するところが大きい。子供の学習が最も効果あるのは、子供自らが「楽しい！」と思って取り組んでいるときだ。カイゼンにおいても、当事者がそれを真に自分の問題としてとらえなければ、日本人の得意とする創意工夫はそこからは生まれてこない。せいぜい、創意工夫の形をした、抜け殻だけが強制されて件数を増やしていく。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>従って、企業内部ログでは、ポジティブな情報といえども、現行の階層組織、そしてそこでのデファクトなワークプロセスのままでは全く機能しない。ICTの仕組みだけではだめなのである。情報化時代の現代の代表的な知の集積の仕組みともいえるブログを、そもそもが権威主導でやろうとするならば、相当な経営サイドの理解と努力が必要だ。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>まずはブログというものの本質を理解した上で、そもそものスタート地点がおもいっきりマイナス側にふれているわけであるから、なんとかしてそれを使わせたい社員の意識をスタート地点であるゼロまで持ってこないといけない。すなわちインセンティブである。社外のブログは自由意志によって花開く。自由意志は自由である。いつ書くか、何を書くか、そしてそもそもそれを書いたところで対価を得られる保証すらないのにあえて自らの時間を費やし書こうと思うものについてのみ書く。だから情報としての価値があるものが多い。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>一方企業内ブログは、その開始の合図は「業務命令」でしかありえない。はなから自由意志が否定されている。であるから、それをなんとかスタート地点に持ってくる相当な努力が必要だ。なのでことさら社員のインセンティブを考慮する必要がある。それらのインセンティブとは少なくとも以下のようなものだろう。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<UL>
	<LI>情報提供に対する正当な対価を与えることの明言</LI>
	<LI>ネガティブ情報提供に対する上記対価に加え、マイナス評価を絶対にしないことの保証</LI>
	<LI>ブログ作成の労力は業務の一部として認めること。権限の委譲。</LI>
	<LI>そして権威からの保護（職制ライン、あるいはより上の職位のものがいかなる報復措置もしないこと）</LI>
</UL>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>しかし多くの管理者、経営者はそもそもブログの本質を全く理解していないから、とりあえず道具立てさえ（つまりブログサーバをたてさえ）すれば、運用が始まると能天気に考えている。いや、彼らはそれがいかに能天気なことであるかすら認識していない。ICTによる道具立てを準備することに加え、それと平行して組織の形態、ワークプロセスも変更せねばならない。すくなくとも階層型組織、そしてそこでデファクトなワークプロセスの中では間違ってもうまくいかない。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>ブログサーバなどICTの話は「情報領域」の話である。一方で組織の構造やワークプロセスは「社会領域」。そしてこれらにはさまれた「認知領域」。これらの間で相互に滞りなく情報が流れるよう密な連携が必要なのである。これを「相互運用性」と呼ぶ。工業化時代に生きてきて、情報化時代を理解していない現在の管理者層や経営者層は、この相互運用性の重要性を全く理解していない。道具立てをそろえるとともに、組織も変えねばならない。自身の頭もかえねばならないのである。</P>
	<P>&nbsp;</P>
	<P>マイクロソフトの企業ブログの例は、いかにICTで先端を行っている会社であろうと、情報化時代のパラダイムシフトにまったくもって追いついていない典型的な例だといえるだろう。ICTの道具立てをそろえるのは、そんなに大変な話ではない。むしろ大変なのは、組織のエッジにいない人間が自らその構造をぶち壊し、新しい情報化時代の価値観を学ぶ意識を持てるかどうかにかかっている。</P>
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        	</item>
		<item>
		<title>&#8220;Post before Process"の時代へ</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Dec 2008 14:22:03 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>悲喜交々（ひきこもごも）</category>
	<category>ディジタルの水平線</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/06/205/</guid>
		<description>	昨日のブログで、ここ数年起こっている情報化時代のパラダイムシフトについてちょっと触れた。しかしそれが一体なんなのか？目に見える形で進行していないので、気がつかない人も多いだろう。
&amp;nbsp;
実は「目に見えない」というのも、この情報化時代のパラダイムシフトの特徴である。今後さらに目に見えない形でこのパラダイムシフトは進むだろう。そして工業化時代のパラダイムシフトのあり方に重ね合わせるような思考パターンしかできなければ、この先の時代で生きて行く事はできないだろう。
&amp;nbsp;
昨今起こりつつあるパラダイムシフトの姿とは、「WEB進化論」で有名な梅田氏の言葉を借りるならば、
&amp;nbsp;
　　「ネットのむこうがわ」
&amp;nbsp;
で急速に進行している現象である。ただそれだけなら実体経済や社会変化への影響はそれほど大きくないかもしれない。しかしながら、「ネットのむこうがわ」の急激な変化は「ネットのこちら側」の現実社会でも確実に表層面での変化として現れている。それを「ネットのこちら側」の因果関係のみで理解しようとすれば見誤ってしまう。
&amp;nbsp;
このパラダイムシフトの根源は、一言で言うならば「情報配信のあり方が１８０度変わってきた」ことにつきる。
&amp;nbsp;
現実社会のサイドから見ると、あいかわらず日々インターネットを含む様々な情報メディアを流れる情報が急激に増えているだけのように見える。しかしその裏では確実に構造の変化が起こっているのである。それは産業革命時代のパラダイムシフトの象徴とも言える、蒸気機関のようなものを現実世界に求めようとすれば、全く見えてこない。
&amp;nbsp;
このパラダイムシフトを起こしている原因は、いうまでもなくICTであり、自らの急激な成長によって、自らが進化している。そしてそれが現実社会へ結果としての変化をもたらしているのだ。
&amp;nbsp;
いったいなにが変わってきているのだろうか？
&amp;nbsp;
ICT、とくにインターネット普及以前の世界では、「情報」というものは、「独占」することでその情報の持つ価値、そしてその情報を持っている人に多大な恩恵をもたらした。情報の所有者は、自分がもつ情報の価値を最大限に利用する為に、様々な形で情報の発信とそのスタイルを工夫し、小出しにする事で長期にわたって対価を得てきた。
&amp;nbsp;
たとえ有用な情報を持っていたとしても、それを活用する手段も持ち合わせなければ、その情報による対価を得る事はできず、したがって数人、同じ時期に有用だと思われる情報に巡り会っても、それを自分の差別化手段として用いる事ができる人は自ずと限られた。このようにして情報を独占する事により社会での競争力を独占可能な時代がしばらくつづいた。
&amp;nbsp;
ところが、インターネット等を多くの人が気軽に利用でき、情報配信の道具や活用方法が利用者にゆだねられるようになってきた現在においては、情報の配信は誰でも気軽にできるようになり、情報配信手段や情報の加工手段を独占する人々の社会的な特権は失われて行った。むしろ、得た情報を直ちに発信するための様々な術、そして同時に賢く必要な情報を取捨選択し、膨大な情報のなかから複数の情報の関連性において「知る為の術を身につけている」ことが社会において個人の価値を高める事となり、ICTに関するリテラシーこそが情報市場における勝ち負けを決める要素となってきた。そしてそのリテラシーの獲得のコストは著しく低い。
&amp;nbsp;
インターネットによって、より早く情報を流す事が、さらに現実社会の変化へ大きな影響を持つに至り、必ずしも流れる情報が正しいとか、価値があるとかと行った事とはあまり関係なく、流れる情報は直ちに現実社会の変化となって現れる。たとえば昨今の経済危機によって、個人預金者がネットバンキングにより預金を一夜にして国外の別の金融機関にうつすなど朝飯前となってきた。俗に「サイバー取り付け騒動」という。
&amp;nbsp;
しかし店舗の前に人が並ぶ訳ではないので，ネットの向こう側を見ていない人には何が起こっているのかがわからない。唯一わかるのは、サイバー取り付け騒動によって、大量に蓄えた資金が一夜にしてなくなり、翌日銀行破綻のニュースを見るときである。
&amp;nbsp;
サイバー取り付けが起こる要因は、やはりネットを駆け巡ったその銀行の経営状況に関するニュースである。その真偽にかかわらず、多くの利用者は安全策を取る。たとえその情報が、誰かによって意図的にねつ造されたものであったとしても、銀行が破綻した後となっては「後の祭り」である。
&amp;nbsp;
このように、ネットをかけめぐる情報を運良く、そしていちはやく入手した非常に多くのユーザがやはりネット上で行動を起こす事で、現実の世界では大変な現象へとつながる。ネットの向こう側が見えない人たちにとっては、翌日の朝刊で「銀行がつぶれた」という結果が分かるのみである。
&amp;nbsp;
ここで「状況依存性」の急激な増大、という現象に着目する必要がある。もちろん世の因果関係はすべて、状況の変化という原因に対し、それに対してなんらかの作用が働き，結果として別の事象が起こる。「取り付け騒動」に例をとってみると、取り付け騒動を起こす人々に取っての原因とは、「あの銀行がやばそうだ」という情報である。
&amp;nbsp;
はたしてその銀行がほんとうにやばいのかどうかはあまり関係がない。そしてその原因に対する作用として、自らの資金を取り戻す、という行動に移る。インターネットの普及していない工業化時代ならば、その行動は「近所の店舗に並ぶ」という現象として現れる。そしてその作用の結果として、銀行がつぶれる、という状況が発生する。
しかし、「あの銀行がやばそうだ」という情報が流れ、それを入手した人が店舗に並ぶ、そして銀行から実際に預金が引き出される間の時間は結構かかる。並んでいる人を見て、情報を入手する人も増えるだろう。
&amp;nbsp;
一方で銀行側としても、人が開店前に店舗前に並んでおり，その列が徐々に長くなっている状況を認識する時間があり、開店までの間に、この事態を回避する対策を立てる時間もある。つまり、原因と結果の間に十分な時間的余裕があり、その変化は非常にゆっくりと進んでいた。言い換えるならば、状況の変化（原因の発生から、それに対して人々が行動をとり、結果がもたらされる時間的余裕）は非常に緩やかであった。少なくとも人間の物理的移動や思考に必要とされる時間よりは相対的に遅く、変化が起こっている間にもそれを食い止めたり、対策を打つ為の十分な時間があった。
&amp;nbsp;
ところが、情報化時代の現代においては、上記のサイバー取り付け騒動の例でよくわかるように、「やばそうだ」という原因となる情報が流れてから、預金の大量引き出しが行われるまでに対策をうったりするような時間的余裕は無い。２４時間３６５日、時間と空間の制約に縛られず、思った瞬間に行動が起こせる。激しい状況の変化を生み出しているのは、いうまでもなく情報そのものであり、またそれによって影響を受け新たな行動を起こす人々の、その状況への依存性は非常に高くなっている。中にはその真偽の程を確認しようとする人もいるだろうが、たとえ嘘でも銀行がつぶれてしまった後となっては手遅れである。そうすると、とりあえず引き出しておこうと思うのが人間心理だ。
&amp;nbsp;
昔ならば，店舗があくまえに、頭取が見せ金を用意しておき、来店したお客に金庫にうずたかく積まれた資金を見せて，はったりをかます、ということもできただろう。しかしネットの向こう側にあっては、こういった人間的な駆け引きの入る余地はない。
&amp;nbsp;
多くの人が、膨大に流れて行く情報のなかで、自らに興味のある情報を積極的に取込み、それを活用してやろうという姿勢に変わってきた。情報を持つ「権威者」の「神託」を気長に待つ時代は終わったのである。社会における主導権は、情報の所有者から、情報を活用する側に移った。それによって更に多くの情報が流れるようになり、もはや「どの情報に価値があるのか」「誰に取って価値があるのか」をじっくり見極める時間など無いし、それを知る術も無い。従って、情報所有者側が、あらかじめ情報を欲しがる人を特定し、その人のニーズにあわせて、情報を適宜加工する戦略は破綻する。
&amp;nbsp;
むしろ、（自らが勝手に価値があると思い込んでいる）情報を独占し小出しにすることは意味がなくなってしまった。情報化時代は、情報の所有者による権威主義から、情報の市場経済に移行したのである。だれがどの情報を価値あるものとしてみるか，は情報を必要とする側が決め、そして自らが欲するように加工する。
&amp;nbsp;
従って，情報の配信方法も、「あらかじめ情報必要者を特定し、それに併せて情報を加工したうえで、ピアトゥピアでながす」という従来のやり方から、「とりあえず持っている情報は、相手を特定せず、加工もせず、とりあえず流す。」というスタイルへと変わってきつつある。つまり、情報配信の形態が工業化時代とは１８０度変わってしまった。
&amp;nbsp;
上記のような、あらかじめ相手を特定し、加工したうえで、その人に送り届けるような情報配信の形態を
&amp;nbsp;
「Smart Smart Push」
&amp;nbsp;
戦略という。一つ目のSmartは、「どの情報に価値があるか」を知っている必要があるという「賢さ（Smart)」。
そして二番目のSmartとは、「だれがその情報を必要とするか」を知っている必要があるという「賢さ（Smart)」。そしてそれらののち、情報所有者側が能動的にその（加工された）情報を「発信する（Push)」ことが最終的に必要となる。
&amp;nbsp;
一方、後述のような「情報所有者はとりあえず情報を発信し、情報を必要とする側が情報を取捨選択し、自ら会うように加工し活用する」やり方を、
&amp;nbsp;
「Push and Smart Pull」
&amp;nbsp;
という。情報所有者側ができるのはとりあえず情報を「発信(Push)」すること。そして情報受信者側が、どれが自らに取って必要であるかを「賢く(Smart)」判断し、そして「取得(Pull)」する。情報配信のありかたとして、工業化時代の「Smart Smart Push; SSP戦略」と、情報化時代の「Push and Smart Pull; PSP戦略」は１８０度違う事がお分かり頂けるだろう。
&amp;nbsp;
その正当性は議論するまでもない。もはやそのような状況が現実のものとなっているからだ。日々メディアをにぎわせている様々な事象を見てみるとその背景に、SSPからPSPへのパラダイムシフトが生んだ事象が非常に多く存在する。これからますます、様々な事象の「状況依存性」は拡大し、PSP戦略の重要性がより確かなものとなる。
&amp;nbsp;
企業は、一独裁者（あるいはカリスマ）による表面的なシナジー追求の結果としてうまれた、みせかけの（組織形態上だけの）取り組みから、実質的なPSP戦略への舵取りを迫られる。この本質が理解できない経営者に企業組織を舵取りする能力は無い。権威は必要ないのである。様々な情報メディアも、このPSP戦略への移行の必要性を良く考え、情報配信の具体的なスタイルや方法を改善して行く必要がある。
&amp;nbsp;
SSP戦略とPSP戦略が命運を分けた、誰もが知っている例を一つ挙げよう。
&amp;nbsp;
その悲劇の主人公とはYahoo!であり、一方勝者はGoogleである。Yahoo!が身売りに走り、Googleは売り上げが落ちたとは言うものの、依然として情報配信市場におけるトップに君臨する状況に変わりはない。情報配信形態のパラダイムシフトにいち早く気がついたGoogleは、情報の活用をその利用者側で能動的に行えるための方法を提供した。Googleの検索サイトはまさに利用者が自らの意思で情報をPullするための道具であった。またそれを効率的に行う為に、人為的な情報の取捨選択を完全に排除し、プログラムにより完全自動化、そしてそれを極限までたかめるための専用ハードや専用アルゴリズムの実装をすすめてきた。
&amp;nbsp;
一方、Yahoo!は当初から利用されている方はよくご存知だろうが、Googleとは対局を成す、人力インデクシングをその売りとしてきた。リクエストをうけたホームページの中身を人間がまず判断し、取捨選択した上で、カテゴライズも人間が行う。人力インデクシングをその売りとして勧めてきた。
&amp;nbsp;
現在ではYahoo!も戦略を大きく転換してきているが、時期すでに遅しという感がある。Yahoo!が身売りせねば鳴らなくなった直接の要因はいろいろと分析されているが、本質的には本来の企業戦略が両社で１８０度異なっている事に起因しているのである。
&amp;nbsp;
（※もちろんGoogleのサービスに問題がないわけではないが、ここでの議論はSSP戦略とPSP戦略の対比、そして本質的なパラダイムシフトであって、個別の枝葉末端な議論には立ち入らない。）
&amp;nbsp;
しかしおもしろいことにというか、いまだに大手の情報系ニュースサイトはこの事を理解していないところが殆どだ。上記のように、利用者の「ネットの向こう側」への入り口は、企業が用意したポータルサイトではない。雑誌のように、まず表紙を見て、それから手を伸ばすかどうか考える時代ではない。いきなり特定ページの特定コラムに、それも全く無関係な場所から飛んでくるのである。極端な話、トップページなどいまだかって見た事等無いということも少なくない。新聞や雑誌とは情報の閲覧方法が違うから，最新号を選んでみる訳でもない。なので、いきなりコラムを見たときに、はたしてその情報がいつ作られたのかをまず知りたいのだ。
&amp;nbsp;
検索サイトでリストアップされたこの情報は、はたしていつ作られたのか？
&amp;nbsp;
つまりこのことが暗に示唆しているのは、
&amp;nbsp;
「どのページにいきなり飛んでこられても、その情報がはたしていつ作られたのかをまず明示すべき」
&amp;nbsp;
ということだ。ところが、ICTを利用してネットに情報を配信しているにもかかわらず、いまだに紙印刷物での情報配信スタイルを暗に踏襲しているところが多い。非常にストレスだ。
&amp;nbsp;
例えば、以下のニュース記事。このニュースサイトが用意したトップから順繰り辿ってこない限りいきなりこのページに検索結果から飛んでくると（そしてそのようなケースの方が多い）、果たしてこのニュースはいつのものなのか、全く分からない。利用者にとって意味のある新しい情報なのか、あるいは古くなってしまった情報なのかが分からない。（いや、状況に依存して、古い情報の方が価値があるケースもある。したがって絶対時刻をまず冒頭に表記する事が非常に重要だ。）このような書き方は、工業化時代の古いスタイルである。ユーザは必ず表紙からめくり、「いつものものか」（つまり何月号、第何週の号なのか）を暗に知っている事を前提としている。
&amp;nbsp;
新生ソフトバンクモバイルの全貌（3）携帯電話の聖域「販売奨励金」に挑戦
&amp;nbsp;
そして、「いつのかなぁ」とずーっと読み進めていくと、いちばん最後の最後に日付が書いてあるのだ。（特にこのサイトに限った話ではない。）このようなニュースサイト、それもITを銘打ったサイトでさえいまだにこのような状況である。このようなサイト構成にしているのは、ひとえにPSP戦略の重要性を真に理解していないからだ。
&amp;nbsp;
情報配信形態における、産業革命以上とも言われるパラダイムシフト、そして新しい時代のPSP戦略。早く気付いて明示的な取り組みをした方が勝ちである。ネットの向こう側が見えず、あくまでネットのこちら側でのみせかけの取り組みに終始する経営者は会社をだめにするだろう。

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		<content:encoded><![CDATA[	<p>昨日のブログで、ここ数年起こっている情報化時代のパラダイムシフトについてちょっと触れた。しかしそれが一体なんなのか？目に見える形で進行していないので、気がつかない人も多いだろう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>実は「目に見えない」というのも、この情報化時代のパラダイムシフトの特徴である。今後さらに目に見えない形でこのパラダイムシフトは進むだろう。そして工業化時代のパラダイムシフトのあり方に重ね合わせるような思考パターンしかできなければ、この先の時代で生きて行く事はできないだろう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>昨今起こりつつあるパラダイムシフトの姿とは、「WEB進化論」で有名な梅田氏の言葉を借りるならば、</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>　　「ネットのむこうがわ」</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>で急速に進行している現象である。ただそれだけなら実体経済や社会変化への影響はそれほど大きくないかもしれない。しかしながら、「ネットのむこうがわ」の急激な変化は「ネットのこちら側」の現実社会でも確実に表層面での変化として現れている。それを「ネットのこちら側」の因果関係のみで理解しようとすれば見誤ってしまう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>このパラダイムシフトの根源は、一言で言うならば「情報配信のあり方が１８０度変わってきた」ことにつきる。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>現実社会のサイドから見ると、あいかわらず日々インターネットを含む様々な情報メディアを流れる情報が急激に増えているだけのように見える。しかしその裏では確実に構造の変化が起こっているのである。それは産業革命時代のパラダイムシフトの象徴とも言える、蒸気機関のようなものを現実世界に求めようとすれば、全く見えてこない。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>このパラダイムシフトを起こしている原因は、いうまでもなくICTであり、自らの急激な成長によって、自らが進化している。そしてそれが現実社会へ結果としての変化をもたらしているのだ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>いったいなにが変わってきているのだろうか？</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>ICT、とくにインターネット普及以前の世界では、「情報」というものは、「独占」することでその情報の持つ価値、そしてその情報を持っている人に多大な恩恵をもたらした。情報の所有者は、自分がもつ情報の価値を最大限に利用する為に、様々な形で情報の発信とそのスタイルを工夫し、小出しにする事で長期にわたって対価を得てきた。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>たとえ有用な情報を持っていたとしても、それを活用する手段も持ち合わせなければ、その情報による対価を得る事はできず、したがって数人、同じ時期に有用だと思われる情報に巡り会っても、それを自分の差別化手段として用いる事ができる人は自ずと限られた。このようにして情報を独占する事により社会での競争力を独占可能な時代がしばらくつづいた。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>ところが、インターネット等を多くの人が気軽に利用でき、情報配信の道具や活用方法が利用者にゆだねられるようになってきた現在においては、情報の配信は誰でも気軽にできるようになり、情報配信手段や情報の加工手段を独占する人々の社会的な特権は失われて行った。むしろ、得た情報を直ちに発信するための様々な術、そして同時に賢く必要な情報を取捨選択し、膨大な情報のなかから複数の情報の関連性において「知る為の術を身につけている」ことが社会において個人の価値を高める事となり、ICTに関するリテラシーこそが情報市場における勝ち負けを決める要素となってきた。そしてそのリテラシーの獲得のコストは著しく低い。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>インターネットによって、より早く情報を流す事が、さらに現実社会の変化へ大きな影響を持つに至り、必ずしも流れる情報が正しいとか、価値があるとかと行った事とはあまり関係なく、流れる情報は直ちに現実社会の変化となって現れる。たとえば昨今の経済危機によって、個人預金者がネットバンキングにより預金を一夜にして国外の別の金融機関にうつすなど朝飯前となってきた。俗に「サイバー取り付け騒動」という。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>しかし店舗の前に人が並ぶ訳ではないので，ネットの向こう側を見ていない人には何が起こっているのかがわからない。唯一わかるのは、サイバー取り付け騒動によって、大量に蓄えた資金が一夜にしてなくなり、翌日銀行破綻のニュースを見るときである。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>サイバー取り付けが起こる要因は、やはりネットを駆け巡ったその銀行の経営状況に関するニュースである。その真偽にかかわらず、多くの利用者は安全策を取る。たとえその情報が、誰かによって意図的にねつ造されたものであったとしても、銀行が破綻した後となっては「後の祭り」である。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>このように、ネットをかけめぐる情報を運良く、そしていちはやく入手した非常に多くのユーザがやはりネット上で行動を起こす事で、現実の世界では大変な現象へとつながる。ネットの向こう側が見えない人たちにとっては、翌日の朝刊で「銀行がつぶれた」という結果が分かるのみである。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>ここで「状況依存性」の急激な増大、という現象に着目する必要がある。もちろん世の因果関係はすべて、状況の変化という原因に対し、それに対してなんらかの作用が働き，結果として別の事象が起こる。「取り付け騒動」に例をとってみると、取り付け騒動を起こす人々に取っての原因とは、「あの銀行がやばそうだ」という情報である。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>はたしてその銀行がほんとうにやばいのかどうかはあまり関係がない。そしてその原因に対する作用として、自らの資金を取り戻す、という行動に移る。インターネットの普及していない工業化時代ならば、その行動は「近所の店舗に並ぶ」という現象として現れる。そしてその作用の結果として、銀行がつぶれる、という状況が発生する。<br />
しかし、「あの銀行がやばそうだ」という情報が流れ、それを入手した人が店舗に並ぶ、そして銀行から実際に預金が引き出される間の時間は結構かかる。並んでいる人を見て、情報を入手する人も増えるだろう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>一方で銀行側としても、人が開店前に店舗前に並んでおり，その列が徐々に長くなっている状況を認識する時間があり、開店までの間に、この事態を回避する対策を立てる時間もある。つまり、原因と結果の間に十分な時間的余裕があり、その変化は非常にゆっくりと進んでいた。言い換えるならば、状況の変化（原因の発生から、それに対して人々が行動をとり、結果がもたらされる時間的余裕）は非常に緩やかであった。少なくとも人間の物理的移動や思考に必要とされる時間よりは相対的に遅く、変化が起こっている間にもそれを食い止めたり、対策を打つ為の十分な時間があった。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>ところが、情報化時代の現代においては、上記のサイバー取り付け騒動の例でよくわかるように、「やばそうだ」という原因となる情報が流れてから、預金の大量引き出しが行われるまでに対策をうったりするような時間的余裕は無い。２４時間３６５日、時間と空間の制約に縛られず、思った瞬間に行動が起こせる。激しい状況の変化を生み出しているのは、いうまでもなく情報そのものであり、またそれによって影響を受け新たな行動を起こす人々の、その状況への依存性は非常に高くなっている。中にはその真偽の程を確認しようとする人もいるだろうが、たとえ嘘でも銀行がつぶれてしまった後となっては手遅れである。そうすると、とりあえず引き出しておこうと思うのが人間心理だ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>昔ならば，店舗があくまえに、頭取が見せ金を用意しておき、来店したお客に金庫にうずたかく積まれた資金を見せて，はったりをかます、ということもできただろう。しかしネットの向こう側にあっては、こういった人間的な駆け引きの入る余地はない。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>多くの人が、膨大に流れて行く情報のなかで、自らに興味のある情報を積極的に取込み、それを活用してやろうという姿勢に変わってきた。情報を持つ「権威者」の「神託」を気長に待つ時代は終わったのである。社会における主導権は、情報の所有者から、情報を活用する側に移った。それによって更に多くの情報が流れるようになり、もはや「どの情報に価値があるのか」「誰に取って価値があるのか」をじっくり見極める時間など無いし、それを知る術も無い。従って、情報所有者側が、あらかじめ情報を欲しがる人を特定し、その人のニーズにあわせて、情報を適宜加工する戦略は破綻する。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>むしろ、（自らが勝手に価値があると思い込んでいる）情報を独占し小出しにすることは意味がなくなってしまった。情報化時代は、情報の所有者による権威主義から、情報の市場経済に移行したのである。だれがどの情報を価値あるものとしてみるか，は情報を必要とする側が決め、そして自らが欲するように加工する。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>従って，情報の配信方法も、「あらかじめ情報必要者を特定し、それに併せて情報を加工したうえで、ピアトゥピアでながす」という従来のやり方から、「とりあえず持っている情報は、相手を特定せず、加工もせず、とりあえず流す。」というスタイルへと変わってきつつある。つまり、情報配信の形態が工業化時代とは１８０度変わってしまった。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>上記のような、あらかじめ相手を特定し、加工したうえで、その人に送り届けるような情報配信の形態を</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>「Smart Smart Push」</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>戦略という。一つ目のSmartは、「どの情報に価値があるか」を知っている必要があるという「賢さ（Smart)」。<br />
そして二番目のSmartとは、「だれがその情報を必要とするか」を知っている必要があるという「賢さ（Smart)」。そしてそれらののち、情報所有者側が能動的にその（加工された）情報を「発信する（Push)」ことが最終的に必要となる。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>一方、後述のような「情報所有者はとりあえず情報を発信し、情報を必要とする側が情報を取捨選択し、自ら会うように加工し活用する」やり方を、</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>「Push and Smart Pull」</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>という。情報所有者側ができるのはとりあえず情報を「発信(Push)」すること。そして情報受信者側が、どれが自らに取って必要であるかを「賢く(Smart)」判断し、そして「取得(Pull)」する。情報配信のありかたとして、工業化時代の「Smart Smart Push; SSP戦略」と、情報化時代の「Push and Smart Pull; PSP戦略」は１８０度違う事がお分かり頂けるだろう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>その正当性は議論するまでもない。もはやそのような状況が現実のものとなっているからだ。日々メディアをにぎわせている様々な事象を見てみるとその背景に、SSPからPSPへのパラダイムシフトが生んだ事象が非常に多く存在する。これからますます、様々な事象の「状況依存性」は拡大し、PSP戦略の重要性がより確かなものとなる。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>企業は、一独裁者（あるいはカリスマ）による表面的なシナジー追求の結果としてうまれた、みせかけの（組織形態上だけの）取り組みから、実質的なPSP戦略への舵取りを迫られる。この本質が理解できない経営者に企業組織を舵取りする能力は無い。権威は必要ないのである。様々な情報メディアも、このPSP戦略への移行の必要性を良く考え、情報配信の具体的なスタイルや方法を改善して行く必要がある。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>SSP戦略とPSP戦略が命運を分けた、誰もが知っている例を一つ挙げよう。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>その悲劇の主人公とはYahoo!であり、一方勝者はGoogleである。Yahoo!が身売りに走り、Googleは売り上げが落ちたとは言うものの、依然として情報配信市場におけるトップに君臨する状況に変わりはない。情報配信形態のパラダイムシフトにいち早く気がついたGoogleは、情報の活用をその利用者側で能動的に行えるための方法を提供した。Googleの検索サイトはまさに利用者が自らの意思で情報をPullするための道具であった。またそれを効率的に行う為に、人為的な情報の取捨選択を完全に排除し、プログラムにより完全自動化、そしてそれを極限までたかめるための専用ハードや専用アルゴリズムの実装をすすめてきた。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>一方、Yahoo!は当初から利用されている方はよくご存知だろうが、Googleとは対局を成す、人力インデクシングをその売りとしてきた。リクエストをうけたホームページの中身を人間がまず判断し、取捨選択した上で、カテゴライズも人間が行う。人力インデクシングをその売りとして勧めてきた。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>現在ではYahoo!も戦略を大きく転換してきているが、時期すでに遅しという感がある。Yahoo!が身売りせねば鳴らなくなった直接の要因はいろいろと分析されているが、本質的には本来の企業戦略が両社で１８０度異なっている事に起因しているのである。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>（※もちろんGoogleのサービスに問題がないわけではないが、ここでの議論はSSP戦略とPSP戦略の対比、そして本質的なパラダイムシフトであって、個別の枝葉末端な議論には立ち入らない。）</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>しかしおもしろいことにというか、いまだに大手の情報系ニュースサイトはこの事を理解していないところが殆どだ。上記のように、利用者の「ネットの向こう側」への入り口は、企業が用意したポータルサイトではない。雑誌のように、まず表紙を見て、それから手を伸ばすかどうか考える時代ではない。いきなり特定ページの特定コラムに、それも全く無関係な場所から飛んでくるのである。極端な話、トップページなどいまだかって見た事等無いということも少なくない。新聞や雑誌とは情報の閲覧方法が違うから，最新号を選んでみる訳でもない。なので、いきなりコラムを見たときに、はたしてその情報がいつ作られたのかをまず知りたいのだ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>検索サイトでリストアップされたこの情報は、はたしていつ作られたのか？</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>つまりこのことが暗に示唆しているのは、</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>「どのページにいきなり飛んでこられても、その情報がはたしていつ作られたのかをまず明示すべき」</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>ということだ。ところが、ICTを利用してネットに情報を配信しているにもかかわらず、いまだに紙印刷物での情報配信スタイルを暗に踏襲しているところが多い。非常にストレスだ。</p>
	<p>&nbsp;</P>
	<p>例えば、以下のニュース記事。このニュースサイトが用意したトップから順繰り辿ってこない限りいきなりこのページに検索結果から飛んでくると（そしてそのようなケースの方が多い）、果たしてこのニュースはいつのものなのか、全く分からない。利用者にとって意味のある新しい情報なのか、あるいは古くなってしまった情報なのかが分からない。（いや、状況に依存して、古い情報の方が価値があるケースもある。したがって絶対時刻をまず冒頭に表記する事が非常に重要だ。）このような書き方は、工業化時代の古いスタイルである。ユーザは必ず表紙からめくり、「いつものものか」（つまり何月号、第何週の号なのか）を暗に知っている事を前提としている。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060928/249324/">新生ソフトバンクモバイルの全貌（3）携帯電話の聖域「販売奨励金」に挑戦</a></p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>そして、「いつのかなぁ」とずーっと読み進めていくと、いちばん最後の最後に日付が書いてあるのだ。（特にこのサイトに限った話ではない。）このようなニュースサイト、それもITを銘打ったサイトでさえいまだにこのような状況である。このようなサイト構成にしているのは、ひとえにPSP戦略の重要性を真に理解していないからだ。</p>
	<p>&nbsp;</p>
	<p>情報配信形態における、産業革命以上とも言われるパラダイムシフト、そして新しい時代のPSP戦略。早く気付いて明示的な取り組みをした方が勝ちである。ネットの向こう側が見えず、あくまでネットのこちら側でのみせかけの取り組みに終始する経営者は会社をだめにするだろう。
</p>
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        	</item>
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		<title>iモード再輸出により自滅路線を突き進むDoCoMo</title>
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		<pubDate>Thu, 04 Dec 2008 17:42:52 +0900</pubDate>
		<author>spiky</author>
		
	<category>ディジタルの水平線</category>		<guid isPermaLink="true">http://www.sailweb.net/modules/wordpress/2008/12/04/204/</guid>
		<description>	ここのところ、日本国内の携帯市場も海外からの大きな波に洗われて、転換の時期を迎えている。
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と、ここにきて、実に摩訶不思議なニュースが流れてきたので、ちょっと考えてみよう。
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　　ｉモード　欧州に再挑戦　ドコモ「簡易版」開発、本格展開へ
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「再挑戦」と書かれているように、DoCoMoが自信を持つ「iモード」を海外に輸出して、グローバルマーケットに進出しようという試みは、これが２度目となる。
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うろ覚えだが、ちょうどNYSE（ニューヨーク証券取引所、いま話題のウォール街の中心ですな）を訪問したときに、「つい先日、DoCoMoがオープニングベルを鳴らして、ここで祝賀会をやったんだよ」という話を聞いたのが、2002年だったか、2003年だったか。それがiモードの初めての世界市場への挑戦が進んでいるところだった。たしかAT&amp;amp;Tとかに技術を売り込んでたのじゃなかったかな。
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結果としてそれは失敗に終わった。
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いろいろな理由があると思うが、僕が考えるに、その当時すでに米国の市場はオープン化、そして日本の垂直統合型とは対照的なレイヤー型（キャリア、サービス、端末を別々に選べる）サービスをとっていたことが大きな理由としてあると思う。端末にしてもブラックベリーやPalmOSを搭載したTREOなどのスマートフォンが出始めており、いまさら非常に特殊なサービスを自社のユーザ向けにやったとしても、それが直接顧客の囲い込みにつながらないため、はなっから失敗するのは見えていた。
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記事にもあるように、もともとiモードというのは、キャリアが独自のポータルを設け、そのポータルを入り口としてキャリアから見た自社顧客をそのサービスの中に縛り付けるようなビジネスモデルである。特に有料コンテンツという、DoCoMoにとっての金づるサービスは、そのキャリア（のサービスを使っている端末）でしか利用できないものばかりで、完全にクローズした世界である。
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しかしスマートフォンというのは、PCのwebブラウザほどではないにしろ、基本、インターネットにちらばる無数のサイトを自由に閲覧できるブラウザを搭載する。当然ユーザはその自由さを知っているので、なんでいまさらそんなクローズなサービスをつかわにゃならんのだという気分になるだろう。（もっともそういう意識がユーザに芽生える前に、iモードは息絶えたが）
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もっとも、iモードが携帯端末におけるネットワークビジネスに大きな影響をもたらしたのは間違いない。携帯デバイスを使った有料サービスが、それまでPCを使いこなすギークを中心としたマーケットから、一般ユーザまで巻き込んだ巨大な金の卵であることを示したのはiモードだった。
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しかし、僕はiモードはそういった携帯デバイスによる無線ネットワーク市場における、きわめて端境期的な（過渡的な）サービススタイルだと考えていた。そもそもすでにその時点でPCからは、非常に多くの（DoCoMoに限らない）有料・無料のサイトが閲覧できて、自由にネットサーフィンできるのに、なぜ（国内の）携帯からはそのようなことができないのかが不思議でしょうがなかったし、スマートフォンなどの登場によって、多くはそういった囲い込みサービスからより広く自由な世界に流れるのがビジネスの世界におけるエンタルピーの法則というものだ。また、「市場は市場が進みたい方向に進む」。この大きな力を一企業が無理やり自社の狭い箱庭に押し込めようなどということ自体が、きわめてオールドファッションドな時代を逆行するスタイルだ。
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再度言うが、日本の携帯市場における黎明期にiモードが果たした役割は大きかった。しかしそれはあくまで市場が成熟するまでの一時的なつなぎとしての意味しかない。しかし残念なことにというか、DoCoMoはそこで非常に甘い汁を吸ってしまったが故、その成功体験を忘れられず、再度欧州に甘い汁を見つけに行くことに決めたようだ。ある意味、この状況は一時ブームとなった「チーズはどこに行った」の話を思い起こさせる。
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iモードのような垂直統合型のビジネスモデルが入り込む余地はもう無い。むしろそれは当時北米で苦労したのよりも、むしろ茨の道を、そして行き止まりの道を欧州で進もうとしているように見える。
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そしてさらなる逆風として、世界市場ではすでにスマートフォンがあたりまえとなっている。つまり、携帯端末からは、PCで見るのと同じ世界が（多少の制約があるとはいえ）覗ける、というのがあたりまえの認識となっている。iモードの技術が提供するページが、いかに非力な、画面の小さな携帯端末向けにすばらしく最適化されるとしても、世界はひとつになりつつあるのであって、あらためてその世界に線引きをしようなどと（あるいは切り取ろうと）、どうしたらそのような「変な」考えに到達するのか皆目検討がつかない。
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記事によれば、DoCoMoもその辺はわかっているようで、従来の垂直統合型のスタイルを改めるという話であるが、具体的にどうするのかまで書かれていないので不明だ。しかし察するに、キャリアに縛られない、SaaS的なサービスクラウドを作り出そうとしているのではないかと感ずる。もしそれを、欧州に展開しようとしている（新しい）iモードと呼んでいるのであれば、ひょっとすると多少の可能性は残されているかもしれない。しかしそこでのDoCoMoが従来iモードで築いた技術によるアドバンテージがどれほどあるのかはなはだ疑問である。
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iモードが（技術的に）国内で成り立っていた一つの背景として、端末の画一化が上げられる。
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どの端末も同じような画素数、色数を備え、インタフェースもDoCoMoの独自仕様。実際には微妙に解像度が違ったり、色数が違ったりで、結構多くのバリエーション（機種）ごとの画面構成などを考える必要があるのであるが、しかしそれはカウント可能な有限のものであった。しかし、欧州市場を見ると、世界の携帯メーカの雄、Nokiaをはじめとして、実に多彩な種類の端末を、実に多くの市場セグメントごとに次から次に出し続けている。そういった多様な端末がちらばる欧州市場において、端末の（表示）仕様をあらかじめ考えながらサイトを構築するようなやり方や、構築ツールというのは全く持ってスケーラブルではないので、早々に破綻するのが見えている。
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だからこそ、欧州の端末、特にスマートフォンに関しては、PCコンパチのブラウザを搭載し、ブラウザ側で表示を拡大・縮小・回転など自由にできるようにすることで、サイト構築においてはあまり携帯端末の固有の機種のコンパチビリティを意識する必要がなくなっている。今後この流れはどんどん加速するだろう。そうなると、はたして（いまでもそういえるかどうか極めて懐疑的であるが）非力な携帯端末に特化したような、PCサイトとはことなるページの見せ方をあえて考えて作らねばならないのは非常に負担が大きい。ではiモード技術の魅力とはいったいなんなのだろうか。端末固有のIDをつかって、ログインなしに有料サービスを利用できること？でもそんなものも、本流からは大きく外れているだろう。
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たとえば認証の仕組みを端末に持たせる、あるいは端末固有のIDを使うという、情報領域を物理領域と（物理領域の固有パラメータによって）結び付けようとするような考え方はもう古いし、たとえば、ユーザ名・パスワードによる認証メカニズムにしたって、各サイトやサービスごとにいちいち入力しなくても良いよう、OpenIDのような最も大事な認証のところで、キャリアではなくサービスに横串をさすような仕組みが広まりつつある。そんなときにiモードの技術的魅力とはいったいなんなのだろうかと考えてしまう。
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まぁ火を見るより明らかであるが、欧州に活路を見出そうと